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ご由緒
奈良時代の養老二年(718)、仁聞菩薩によって創建。 南北朝時代には六郷満山末山の寺院として史料から確認できる。仁聞菩薩の命を受け、朝廷のもとへ六郷満山満行報告へ向かう。瞬足、明賢(初代住職)が播磨の国に一身七頭の鬼を退治し朝廷に差し出すと「自坊に持ち帰り鬼の首を鎮めよ」と達しを受ける。この首を石の扉で封じたことから「岩戸寺」とされる。
最古の国東塔と修正鬼会が残る、六郷山文化の宝庫
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いわとじ
大分県国東市
岩戸寺には「国東文化」と称されるこの地域の文化を象徴するような文化財がたくさんあります。 銘のあるものでは、現存最古の「国東塔」や日本最古の石造の仁王像などの石造品はその代表的なものです。 長い歴史をかけてこの国東の地で育まれた文化に触れてみましょう。
境内の入り口には文明10年(1478年)に造られた丸彫石造仁王像が安置されている。 室町時代の作で大分県の重要文化財に指定されており、石造の仁王像としては日本における現存最古のものと伝わる。
国東塔とは国東半島独自の形式をもつ石造宝塔のことで、基礎と塔身の間に蓮の花をかたどった蓮華座を持つことが特徴。 岩戸寺の国東塔はその中でも最古のものであり、銘文から鎌倉時代の弘安六年(1283)に造られた。国東塔が建つ岩には仏様が彫られている。
修正鬼会(しゅじょうおにえ)は旧正月に行われる六郷満山の伝統行事であり、国指定の重要無形民俗文化財に指定されてる。 岩戸寺の修正鬼会では、講堂に二名の僧侶が扮した鬼が登場し、火のついた松明を振りかざして独特の踊りをする。 鬼というと悪者のイメージがあるが、国東半島の鬼は仏や先祖の化身とされている。
境内の奥にある大きな岩のアーチ(岩戸)は、子安観音を祀っている。その下には、「鬼の岩屋」と呼ばれ、修正鬼会で登場する鬼はここからやってくるとされる。 奥の院には、昔、岩宿という礼拝堂があり、ご本尊の薬師如来が祀られていた。現在、薬師如来像は県指定文化財として奥之院のお堂に安置されている。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
奈良時代の養老二年(718)、仁聞菩薩によって創建。 南北朝時代には六郷満山末山の寺院として史料から確認できる。仁聞菩薩の命を受け、朝廷のもとへ六郷満山満行報告へ向かう。瞬足、明賢(初代住職)が播磨の国に一身七頭の鬼を退治し朝廷に差し出すと「自坊に持ち帰り鬼の首を鎮めよ」と達しを受ける。この首を石の扉で封じたことから「岩戸寺」とされる。
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