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ご由緒
天平勝宝元(749)年に「日待山日輪寺」として報恩大師により開かれた。その後荒廃していた寺を、9世紀ごろに慈覚大師円仁によって復興され、「本覚寺」と名前を変えた。その後室町時代頃に、「上寺山餘慶寺」という寺号になったと伝わる。江戸時代には岡山藩主・池田氏の庇護のもとでおおいに栄え、最盛期には7院13坊を数える大伽藍となったそう。境内には平安時代からの様々な仏像が大切に守り伝えられている。
平安時代から地域を見守る巨大なお薬師さん
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よけいじ
岡山県瀬戸内市
最盛期には7院13坊を数える大伽藍を山上に形成した餘慶寺の境内には、数々の文化財が伝えられています。貴賤を問わず信仰された大伽藍を巡り、境内に残る文化財の魅力に触れてみてください。
享保19(1734)年に再建されたという薬師堂には、10世紀頃の造立とされる薬師如来坐像がおまつりされていた。現在は、薬師堂の裏に収蔵庫が建立され、他の仏像とともに収蔵庫内におまつりされる。薬師如来坐像は像高182cm、重量350kgにもなる一木造の巨像である。かつて全身が金箔で覆われていたが、薬師如来像に触ると病気が治るとの伝承があり、膝の部分を中心に金箔がはがれているという。薬師如来坐像の右手には、平安時代前期に造立された聖観音菩薩立像がおまつりされる。左手には、平安時代後期に造立された十一面観音菩薩立像がおまつりされる。この像は、材質が固く彫刻しにくいケヤキ材を用いた一木造の珍しいお像で、何らかな神木を用いた仏像であると考えられている。また、近年の調査で平安時代の造立だと目される地蔵堂の本尊、地蔵菩薩立像も収蔵庫内に移されている。薬師如来坐像と聖観音菩薩立像は国指定重要文化財、十一面観音菩薩立像は岡山県指定重要文化財に指定されている。
本堂は永禄13年(1570)に建立された建物で、国指定重要文化財に指定されている。堂内中央には千手観音菩薩立像がご本尊としておまつりされる。33年に1度ご開帳される秘仏であり、前回は平成24年(2012)にご開帳された。このご本尊には参勤交代で江戸に赴いた池田公が重病の折り夢に姿を現わし、池田公が祈ったところ病気が平癒したという逸話が残る。この逸話により池田家による庇護があつくなり、伽藍が整備されたという。本堂内陣には千手観音をおまもりする仏さまの姿が壁面に描かれ荘厳な空間が広がる。また千手観音菩薩立像がおまつりされる須弥壇には葡萄が彫刻されて珍しい。
江戸時代、1815年に再興された建物である。初層と二層目はまっすぐに伸びる並行垂木、三層目は放射状に出ている扇垂木。また、初層はケヤキ、二層、三層目はヒノキという、造りと材質が3層とも異なっているのが特徴である。20年ほど前に放火されたが、全焼を免れた。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科1年
ご由緒
天平勝宝元(749)年に「日待山日輪寺」として報恩大師により開かれた。その後荒廃していた寺を、9世紀ごろに慈覚大師円仁によって復興され、「本覚寺」と名前を変えた。その後室町時代頃に、「上寺山餘慶寺」という寺号になったと伝わる。江戸時代には岡山藩主・池田氏の庇護のもとでおおいに栄え、最盛期には7院13坊を数える大伽藍となったそう。境内には平安時代からの様々な仏像が大切に守り伝えられている。
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