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ご由緒
創建の時期や詳細な縁起などは不明であるが、江戸時代以前は『法鷲寺(ほうしゅうじ)』という寺号の寺院であったという。この寺号や釈迦如来様を御本尊とすることから、法華経信仰の篤い寺院であったと推測されている。
御本尊である釈迦如来坐像は、法衣を台座前面に垂らす法衣垂下式の様式を示す作例として著名であり、斜めに衣を垂らすという複雑な造形表現などから法衣垂下式の様式のお像が造立され始めた鎌倉時代の終わり頃の造立と考えられている。
東金・山武古社寺めぐり参加寺院である。
中世の東国の仏教文化を伝えるお釈迦さまをまつる
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ほうじゅじ
千葉県山武市
宝聚寺の御本尊様は、荒波が押し寄せるような強いうねりを衣に刻む点が特徴の仏様。大陸の最新の仏教文化を積極的に受け入れた中世の東国の仏教文化を伝えるお像として注目されています。御本尊様の他にも、夢見る人々を支える夢見地蔵様や中世の房総半島の祈りを伝える妙見菩薩様など、魅力的な仏様がおまつりされています。
宝聚寺の本尊である木造釈迦如来坐像は、衣の端を台座前面から垂らす「法衣垂下式」の特徴を表すお像である。「法衣垂下式」のお像は、大陸との貿易でもたらされた宋時代の仏画にみられる特徴を彫刻として表現されたお像であるとされ、鎌倉時代後期から室町時代にかけて鎌倉を中心とした東国で造像されたと考えられている。
宝聚寺の御本尊様は台座前面から垂らす衣が斜めになっている点が特徴である。他の「法衣垂下式」の特徴を有する作例をふまえると、時代が下るにつれて台座から垂直に衣を垂らす傾向が見られることから、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての造像であると考えられている。
「法衣垂下式」のお像が造立された時期の東国では、交易でもたらされた大陸の最新の仏教の受容が盛んに行われており、五山といわれるような鎌倉幕府の庇護を受けた禅宗の寺院が興隆した。このような中で都とは異なった作風の仏像も造像されるようになった。宝聚寺の御本尊様は当時の東国の仏教文化を示すお像であり、鎌倉との文化的なつながりを想起させる仏様である。
地蔵菩薩様は、右足を立てその足に右肘を載せ手を顔に当てるお姿をされている。目を少し開け軽く首をかしげる姿はまどろんでいるようにみえることから、「夢見地蔵」と呼ばれ親しまれている。
「夢見地蔵」は3つの御利益をくださるという。一つ目の御利益は、悪い夢を良い夢へと変えてくださる「夢違(ゆめちがえ)」の御利益。二つ目の御利益は、夢の実現に向けて頑張る人々を勇気づけてくださる御利益。三つ目の御利益は、夢見る力を亡くしてしまった人に対し、もう一度夢見る力を与えてくださる御利益。この夢に関する3つの御利益を与えてくださる地蔵菩薩様であることから、「三夢(さんむ)地蔵」とも呼ばれている。
厨子内に妙見菩薩様がおまつりされている。妙見菩薩は北極星(北辰)を表す仏様であり、中世の房総半島で勢力を広げた千葉氏が篤く信仰したことでも知られている仏様。宝聚寺におまつりされている妙見菩薩は、台座の上に座り、両膝の上に両手を乗せるお姿をとる。
客殿の前には、樹齢200年にもなるという梅の古木「妙見梅」が枝を広げている。もともとは他所にあったが近年客殿の前に移植され、夜空に輝く北極星のような白く輝く花を咲かせている。
客殿は平成26年に落慶した建物。夢見地蔵様より「夢見坊」とも呼ばれている。現在の客殿の建つ場所の近くには、かつて茅葺の庫裏が建っていたという。
客殿では、千葉県の天台宗寺院を中心に文化財調査をされているご住職による寺子屋や様々な催しが開催されている。
また客殿前には『星降りの池(庭園)』という池泉庭園が整備され、全体が星曼荼羅となるように構想されている。水面には北斗七星の形に配置された七石(影向石)が配置されている。この七石は、古代の房総半島で篤い信仰を集めたという七佛薬師如来のお姿も表しているという。また、池に清らかな水を注ぐ2つの滝は、中世の房総半島で活躍した千葉氏が篤く信仰した妙見菩薩の大呪・小呪(御真言のこと)を表し、妙見神呪の滝と呼ばれている。さらに、池の四隅には青龍・朱雀・白虎・玄武の四神を表す4つの岩が配置されている。
学生レポート

立命館大学 博士課程
ご由緒
創建の時期や詳細な縁起などは不明であるが、江戸時代以前は『法鷲寺(ほうしゅうじ)』という寺号の寺院であったという。この寺号や釈迦如来様を御本尊とすることから、法華経信仰の篤い寺院であったと推測されている。
御本尊である釈迦如来坐像は、法衣を台座前面に垂らす法衣垂下式の様式を示す作例として著名であり、斜めに衣を垂らすという複雑な造形表現などから法衣垂下式の様式のお像が造立され始めた鎌倉時代の終わり頃の造立と考えられている。
東金・山武古社寺めぐり参加寺院である。
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