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ご由緒
天応元年(781)、征東大使として蝦夷平定の任にあった藤原継縄卿が当地に十一面観音菩薩様をおまつりし創建されたと伝えられている房総半島屈指の古刹。平安時代の天長2年(825)、第3代天台座主を務めた慈覚大師円仁により中興され、80を越える坊や末寺を持つ大寺院として隆盛を極めたと伝えられている。中世には、千葉介平常胤をはじめとする領主たちから信仰を集めた。
戦国時代、豊臣秀吉による小田原攻めの影響を受け全山焼失してしまったという。その後、江戸時代になると、江戸幕府からの厚い庇護を受け復興され、天台教学の中枢を担う伴頭職を輩出する寺院となった。民衆からは、火事や泥棒除け、厄除けのお仁王様として篤い信仰を集め、近隣の成田山新勝寺とともに観音教寺をお参りする『両詣り』が流行した。『芝山仁王尊』と呼ばれ信仰を集めている。
