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古代からの歴史と現代が交差する名刹

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しばやまにおうそんかんのんきょうじ

芝山仁王尊 観音教寺

千葉県山武郡芝山町

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日本と世界を結ぶ成田国際空港の近くに、千葉県屈指の歴史を誇る名刹・芝山仁王尊 観音教寺が伽藍を構えています。奈良時代に創建されたと伝えられている観音教寺は、人々に寄り添う御本尊・十一面観音菩薩様を中心として様々な信仰が育まれ、多くの人々の拠所として人々の営みを見守り続けてきました。江戸時代には、火事や泥棒除けのお仁王様として篤い信仰を集め、初詣には1万人を超える人々がお参りしたと伝えられています。境内の上空には日本と世界を結ぶ飛行機が通り、「悠久の歴史と現代を繋ぐお寺」として幅広い国々に方々からも愛されているお寺です。

巡りポイント

秘仏御本尊・十一面観音菩薩様を中心に、様々な仏様や建物が伝えられています。境内の入口に建つ堂々たる仁王門には、中世から当地を見守り続けているお仁王様がおまつりされ、火事・泥棒除けのお仁王様として篤い信仰を集めています。また、観音教寺が伽藍を構える地は、創建以前より祈りの地として信仰を集めていた場所であり、多くの古墳が伝えられています。これらの古墳群から出土した埴輪たちは、そのユーモラスな姿から世界的に注目を集めています。

本堂

  • 本堂
  • 本堂
    外陣天井画《狩野常光筆》
  • 本堂
    欄間彫刻《島村円哲作》
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    『葵の御紋』が彩る天蓋
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    『葵の御紋』が彩る天蓋
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    『葵の御紋』が彩る天蓋
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    『葵の御紋』が彩る天蓋
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江戸の人々の篤い信仰を伝える大堂

観音教寺の本堂は、江戸時代の享保6年(1721)に建立された建物。五間四方の建物で濡れ縁が接続する。もともとは、三重塔と並び建つように、現在の香炉のあたりに建っていたが、昭和54年(1979)に参拝者の混雑緩和のために後方へ曳きあげられた。

 

堂内は格子や欄間により外陣と内陣に分かれており、外陣の天井には狩野常光により描かれた天女などの天井画が伝えられている。また、欄間や建築に施された彫刻は名工として名高い島村円哲による彫刻である。内陣の天井に吊るされている天蓋は江戸時代に製作されたもので、天女たちの姿とともに『葵の御紋』が施され、江戸幕府との深い関係を伝えている。

感想■『葵の御紋』が施された天蓋の繊細さに心惹かれました。透かし彫りの菊の文様や金属に立体的に施された文様など、華麗さ極まる表現にあふれており、身分を問わず江戸の人々に愛された観音教寺の姿を感じることができました。

秘仏御本尊・十一面観音菩薩立像

  • 秘仏御本尊・十一面観音菩薩立像
    御本尊様がおまつりされている厨子
  • 秘仏御本尊・十一面観音菩薩立像
    増長天立像
  • 秘仏御本尊・十一面観音菩薩立像
    持国天立像
  • 秘仏御本尊・十一面観音菩薩立像
    薬師三尊立像
  • 秘仏御本尊・十一面観音菩薩立像
    如来坐像
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節分会で御開扉される麗しの観音様

本堂内陣中央の厨子の内部には、観音教寺の御本尊である十一面観音菩薩様がおまつりされている。1年に一度、節分会の際に御開扉される秘仏である。厨子の周囲には江戸時代に造立された四天王様(多聞天・持国天・増長天・広目天)がおまつりされている。

 

観音教寺の歴史は、天応元年(781)に征東大使として蝦夷平定の任にあった藤原継縄卿が当地に十一面観音菩薩様をおまつりしたことにはじまると伝えられている。その後、慈覚大師により中興され観音菩薩様の霊地として信仰を集めてきた。

 

秘仏御本尊・十一面観音菩薩様の向かって左の壇には、薬師如来様がおまつりされている。比叡山延暦寺の根本中堂に倣い、江戸時代の元禄6年(1693)におまつりされた薬師如来様である。薬師如来様の左右には脇侍である日光菩薩様と月光菩薩様がおまつりされているほか、薬師如来様の眷属である十二神将様がお守りしている。

 

向かって右側の壇には阿弥陀如来様又は釈迦如来様と伝えられている如来様のお像をおまつりしているほか、地蔵菩薩様をおまつりしている。

 

古来より、向かって左側におまつりされている薬師如来様は比叡山の東塔を、向かって右手におまつりされている如来様は比叡山の西塔を、中央におまつりされている観音菩薩様は比叡山の横川を表しているとされ、本堂に入りお参りすることにより過去・現在・未来を表す比叡山の3つの地域をお参りできるようになっていると伝えられている。

感想■堂内に比叡山の3つの地域の祈りが表現されているというご住職のお話が印象的でした。遠く離れた比叡山に対する先人たちの強い想いから生まれた空間表現の工夫に心が動かされました。1年に一度、節分会の際に御開扉される御本尊様にもいつかお会いしたいです。

大護摩堂

  • 大護摩堂
  • 大護摩堂
  • 大護摩堂
    十一面観音菩薩立像
  • 大護摩堂
    十一面観音菩薩立像
  • 大護摩堂
    大日如来坐像
  • 大護摩堂
    天王立像
  • 大護摩堂
    元三大師坐像
  • 大護摩堂
    毘沙門天立像
  • 大護摩堂
    不動明王及び二童子立像
  • 大護摩堂
    大護摩堂
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人々の祈りを受け止める観音教寺の歴史を伝える仏様たち

本堂の向かって右側にたつ大護摩堂は、お参りの方々が護摩祈願をされる場所。建物中央には大きな護摩壇が設置されている。正面の壇上には、秘仏御本尊様のお姿をお写ししたと伝えられている十一面観音菩薩様を中心に、観音教寺の子院や末寺におまつりされていた様々な仏様がおまつりされている。

感想■十一面観音様を中心に、様々な時代に造立された多様な仏様がおまつりされており、観音教寺の悠久の歴史を表しているようでした。いつか護摩法要にも参加したいです。

【内部非公開】三重塔(千葉県指定有形文化財)

  • 【内部非公開】三重塔(千葉県指定有形文化財)
  • 【内部非公開】三重塔(千葉県指定有形文化財)
  • 【内部非公開】三重塔(千葉県指定有形文化財)
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    【非公開】金剛界大日如来坐像
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    【非公開】金剛界大日如来坐像
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    【非公開】金剛界大日如来坐像
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    【非公開】金剛界大日如来坐像
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約40年にもわたる大事業により完成した名塔

現在の三重塔は、江戸時代の寛政9年(1797)に再建を開始し、天保7年(1836)に落慶となった建物。5代にわたる住職がこの再建事業に携わり大事業を成し遂げたという。

 

総高約25メートル、三間四面の三重塔である。初層と二層目の軒周りの垂木は平行に並んでいるが、三層目の垂木は中央から扇状に配置している点が特徴である。これは、屋根を大きく見せる工夫であるという。昭和46年までに修復工事が実施された。

 

三重塔内部には、平安時代に造立されたと考えられている金剛界の大日如来様(非公開)をおまつりしている。

 

三重塔はお堂全体で仏様を表すとされ、お参りの方々の信仰を集めている。

感想■天高くそびえ立つ三重塔は、観音教寺の真上を通る飛行機の操縦席からもはっきりと見えるそうです。過去と現在を繋ぐ名刹と呼ばれる観音教寺を象徴する建物であると感じました。

仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)

  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王門
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王像(吽形)
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王像(吽形)
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王像(吽形)
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王像(阿形)
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王像(阿形)
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王像(阿形)
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王門
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    仁王門
  • 仁王門・木造仁王立像(芝山町指定文化財)
    お仁王様のお札
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災いを除けの霊験あらたかな『お仁王さま』

108段の石段を登った先に威風堂々と建つ仁王門は、明治7年(1874)、5年以上にわたる期間を経て建立された建物。通常の仁王門とは異なり、門の左右に設けられた畳敷きの間に護摩壇がそれぞれ置かれ、その最奥に設けられた須弥壇上に仁王様がおまつりされている。本堂に向かって左側の間に口を閉じる吽形立像を、向かって右側に口を開ける阿形立像をおまつりしている。

 

平成19年から20年にかけて実施された解体修理の際に、仁王様の胎内より嘉慶2年(1388)の年号を含む墨書銘が発見され、全国的に貴重な中世に遡る仁王像であることが判明した。

 

古来より火事や盗難除けの御利益のある仁王様として有名で、特に江戸時代になると、大火に見舞われることの多かった江戸の人々から篤い信仰を集め、「江戸の商家でお仁王様のお札を張らない家はない」といわれていたという。江戸の火消しの大元締めである新門辰五郎が、江戸の火消しや商人たち約1万人とともに毎年初詣に訪れていたと云われていることから火消しの聖地としても有名で、現在でも消防関連の方々の篤い信仰を集めている。

感想■『仁王堂』とも呼べるほど巨大で迫力ある仁王門の姿に、お仁王様に対する人々の篤い信仰の力を感じることができました。お仁王様は、筋骨隆々で威圧感を発しているお姿でありながらも、あたたかく包み込むような穏やかな表情をされており、仁王門を通る人々との出会いを楽しんでおられるかのような感覚を覚えました。

山王社・芝山天神

  • 山王社・芝山天神
    山王社
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    山王社
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    山王社
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    山王社
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    山王社
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    山王社
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    山王社
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    山王社
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    芝山天神
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    芝山天神
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迫力ある彫刻が彩る境内守護の社

三重塔の隣に建つ山王社は、江戸時代の寛政8年(1796)3月下旬に建立された建物。観音教寺を守護するために比叡山の地主神である山王権現を招きおまつりしたと伝えられている。

 

一間社流造の建物で、建物の周囲に豪壮かつ精緻な彫刻を飾る。観音教寺には、元禄13年(1700)9月の銘が残る山王社の棟札が伝えられていることから、現在の建物以前にも山王社が建立され、山王権現がおまつりされていたことが分かる。古来より、子授け・安産の神様として信仰を集めている。

 

山王社の隣には、芝山天神と呼ばれる天神社がおまつりされる。観音教寺の参道を下った先の天神山の頂上に当地の名主である五木田家が文化年間(1804 - 1818)におまつりしたことにはじまる社であると伝えられている。昭和57年(1982)、創建者の子孫である五木田千晴氏の願いにより観音教寺にお移りになった。

 

合格祈願・学業成就の神様として信仰を集めている。

感想■精巧に施された山王社の彫刻に息をのみました。龍や虎、様々な植物が彫刻されており、それぞれの彫刻に意味や物語が秘められているのかなと想像し、楽しみました。

境内に建つ諸堂

  • 境内に建つ諸堂
    不動堂
  • 境内に建つ諸堂
    芝山黒龍天
  • 境内に建つ諸堂
    芭蕉句碑
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多様な祈りが育まれる観音教寺

本堂に向かって左手に、不動堂や芝山黒龍天、芝山稲荷が建つ。

 

茅葺屋根の不動堂は、昭和29年(1954)に岐阜市の安田賢三氏が御子息の菩提を弔うために建立したお堂で、安田家の守り本尊であった不動明王様を本尊としておまつりしている。

 

不動堂の御本尊には逸話が伝えられている。安田氏の御子息が病に倒れた際、「不動明王様の行かれる場所が定まるまではこの世を離れることはできない」と口にするようになったという。この言葉を受けて行者に依頼をしたところ、「もともと芝山の地にゆかりがあり、芝山へ移してほしい」とお告げがあったことから、芝山の観音教寺に奉納されたと伝えられている。

 

芝山黒龍天は、もともと観音教寺の御本尊様に仕えた大蛇であり、後に龍神として信仰を集めている神様。出世運や財運、開運の神様として信仰を集めるほか、病気平癒の御利益があると古来より信仰を集めている。

 

芝山稲荷は、もともと現在本堂が建つ境内裏山におまつりされていた稲荷社。昭和54年(1979)、本堂を現在の香炉があるあたりから現在地へ曳き上げたことに伴い、裏山から現在地へ移された。

 

また、近隣には「観音の 甍みやりつ 花の雲」という松尾芭蕉の句が刻まれた句碑や芭蕉の弟子たちのなかでも特に優れた10人の弟子たち(蕉門十哲)のうちの一人、鯉屋杉風を始祖とする杉家の歴代が詠んだ句を刻む句碑が建つ。

感想■様々な信仰や逸話を伝える神様・仏様は、観音教寺が様々な背景や信仰を持つ人々の拠所であった歴史を伝えているようでした。

千葉県殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪(国指定重要文化財)

  • 千葉県殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪(国指定重要文化財)
  • 千葉県殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪(国指定重要文化財)
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  • 千葉県殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪(国指定重要文化財)
    芝山町立芝山古墳・はにわ博物館
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関東地方の古墳時代を代表する魅力的な埴輪たち

観音教寺が所蔵する殿塚古墳・姫塚古墳から出土した埴輪は、関東地方の古墳時代を代表する埴輪郡として令和6年(2024)に国の重要文化財に指定された。

 

殿塚古墳と姫塚古墳は千葉県山武郡横芝光町にある古墳で、共に前方後円墳、6世紀後半の築造であると考えられている。昭和31年(1956)、観音教寺と早稲田大学の共同調査が実施され、多数の人物や武器を表す埴輪が発見された。この発掘調査は地域一丸となって実施されたという。

 

出土した埴輪のうち、男性の姿を表す埴輪が著名である。髪を中央から左右に分け両耳のあたりで輪状に束ねる美豆良(みずら)という髪型を結い、豊かなあごひげと高さのある山高帽(やまたかぼう)を被る男性の姿は、当地に育まれた独自の文化を伝えている。また、馬をひく人物の姿や巫女の姿を表す埴輪が出土している。

 

姫塚古墳では、このような埴輪が墳丘の北側で列状に出土した。このことから、埴輪を用いた当時の祭祀の様子を示す貴重な例として注目を集めている。

 

殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪は、近隣の芝山古墳群から出土した他の埴輪とともに、観音教寺近隣の芝山町立芝山古墳・はにわ博物館に保管・展示されている。

感想■立派なあごひげを生やし高さのある帽子を被る男性の姿からは、どこか異国らしさを感じました。埴輪たちの独特な姿は様々な文化交流が当地で行われていた痕跡であり、出土した埴輪たちは、観音教寺が創建される以前より当地が祈りを集める地とされていたことを教えてくれる生き証人であると感じました。

report

学生レポート

立命館大学 博士課程

今回の訪問では、大きな仁王門の内部におまつりされている力強く迫力ある仁王様の姿が印象深く心に残っております。

緻密ながら大胆な彫刻が飾られている仁王門の内部に入ると、目を見開き、筋骨隆々の体を誇る仁王様の姿がありました。仁王様が発する迫力は圧倒的で、しばらくその場で言葉を失うほどでした。近づいて拝ませていただくと、私たちの背丈よりも低いお像であることに気がつき驚きました。

鎌倉時代に造立されたと伺った仁王様の姿を見ていると、中世かけて活躍した当地の武士たちの凛々しい姿が蘇るように感じました。

history

ご由緒

天応元年(781)、征東大使として蝦夷平定の任にあった藤原継縄卿が当地に十一面観音菩薩様をおまつりし創建されたと伝えられている房総半島屈指の古刹。平安時代の天長2年(825)、第3代天台座主を務めた慈覚大師円仁により中興され、80を越える坊や末寺を持つ大寺院として隆盛を極めたと伝えられている。中世には、千葉介平常胤をはじめとする領主たちから信仰を集めた。

 

戦国時代、豊臣秀吉による小田原攻めの影響を受け全山焼失してしまったという。その後、江戸時代になると、江戸幕府からの厚い庇護を受け復興され、天台教学の中枢を担う伴頭職を輩出する寺院となった。民衆からは、火事や泥棒除け、厄除けのお仁王様として篤い信仰を集め、近隣の成田山新勝寺とともに観音教寺をお参りする『両詣り』が流行した。『芝山仁王尊』と呼ばれ信仰を集めている。

info

参拝情報

名称
天應山 観音教寺 福聚院
(てんおうざん かんのんきょうじ ふくじゅいん)
所在地
千葉県山武郡芝山町芝山298
googleMAP
参拝時間
本堂開堂:午前8時30分~午後4時
授与品授与・御朱印・祈願受付:午前9時~午後4時

※行事や法務等の都合及び天候等の理由により、閉堂時間や諸堂参拝時間を変更することがあります。
拝観料
境内参拝無料
宗派
天台宗
御本尊
十一面観音
宝物殿
なし
アクセス
■公共交通機関
芝山千代田駅・JR松尾駅より「ふれあいバス」20分(200円)

■車
圏央道 松尾・横芝ICより車5分
JR成田駅・京成成田駅より車30分
駐車場
大型駐車場あり
Webサイト
http://niouson.or.jp/
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