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松平不昧公ゆかりの茶室が伝わる鬼門封じの名刹

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ふもんいん

普門院

島根県松江市

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普門院は、松江藩の初代藩主とされる堀尾吉晴公により創建された古刹。創建時の名前は願応寺といい、豊臣秀吉公を祭神としてまつる豊国神社を管理する別当寺としての役割がありました。その後、豊臣家の滅亡や大火による焼失を乗り越え、松江城の鬼門を封じる松江藩の祈願寺として現在の地に伽藍が整えられました。松江藩の歴代の殿様をはじめ松江の人々の信仰を集めた普門院には、御本尊・大聖不動明王様や大名茶人としても知られている松平不昧公がお忍びで訪れたという茶室『観月庵』が伝えられています。
  • 観月庵
  • 本堂

巡りポイント

普門院の御本尊は大聖不動明王様。2度の大火の後に造立された仏様と伝えられ、松江に暮らす人々の祈りを受け止め続けてきました。また、松平不昧公が普門院の当時の住職と月を眺めたという茶室や庭園が大切に伝えられています。

山門

  • 山門
  • 山門
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約3メートルの高さに足跡・手形が残る

普門院の入口となる山門は江戸時代に建立された建物で、堀尾家下屋敷の門を移築したと伝えられている。

 

近年、この山門の天井に足跡や手形が付いていることが注目を集めている。数十年前は、足跡がはっきりと見えていたが近年消えてしまい、その代わりに手形がはっきりと見えるようになったという。おそらく、山門を建立した大工の足跡や手形であると推測されているが、なぜ手形が遅れて見えるようになったのかは謎であるという。

 

また、普門院の近くにかつて存在していた橋が、後に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が紹介した怪談「小豆とぎ橋」の舞台とされている。小泉八雲は当時の普門院の住職を自宅に招き、様々な怪談話を聞いたという。

感想■足跡や手形が決してつくことのない屋根裏にはっきりと残る手形。大きさも様々で、大人の大きさのものから小ぶりな子供とも思える手形もありました。急に背筋がひんやりする、そんな心地を抱きました。

本堂と御本尊・大聖不動明王坐像

  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
    本堂
  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
    御本尊・大聖不動明王坐像
  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
    御本尊・大聖不動明王坐像
  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
    木造青面金剛立像
  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
    『見ざる 聞かざる 言わざる』をあらわす三猿
  • 本堂と御本尊・大聖不動明王坐像
    出雲三十三観音霊場の観音様たち
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松江の人々の祈りを受け止め続ける凛々しいお不動様

普門院の本堂は、享保17年(1732)に再建された建物。以前の建物は松平綱近公によって建てられた建物で壮麗な伽藍であったが、享保6年(1721)の火災により全焼してしまった。当時の松江藩は財政難だったため、仮本堂として建てられた建物が現在の本堂であるという。現在は瓦葺の建物であるが、建立時は茅葺のお堂で、参拝者の方々がゆったりとお参りできるように昭和54年に新しく外陣部分を増築した。

 

堂内中央には、普門院の御本尊である大聖不動明王坐像がおまつりされている。堀尾吉晴公により創建された願応寺のときから御本尊として大聖不動明王様をおまつりしているが、火災により焼損してしまったため、享保6年(1721)の火災後に現在の御本尊様を造立したと伝えられている。当初の不動明王様も伝えられており、現在の御本尊様のように座っているお姿ではなく、立っている立像のお姿で、やはり火災の痕跡がお身体に残されているという。

 

御本尊様の隣には、青面金剛(しょうめんこんごう)立像がおまつりされている。庚申(こうしん)様とも呼ばれる仏様で、病気をはらう仏様として信仰を集めた仏様。足元には『見ざる 聞かざる 言わざる』の三猿の姿が彫られている。

 

さらに、出雲三十三観音霊場でおまつりされている33の観音様を一同におまつりしている。松江藩主のお姫様が日ごろ祈りを捧げていた仏様であると伝えられ、松江藩の祈願寺としての繋がりから普門院に寄進されたと伝えられている。

感想■御本尊様の眼光は鋭く、その眼差しの先に座ると自然と自分の背筋が伸びるような、力強い迫力を感じました。大きな火炎を背負い、右手に剣を、左手に羂索を持つお姿からは、数百年にわたり松江の人々の祈りを受け止め続ける祈りの歴史を感じました。

長楽寺御本尊・聖観音菩薩立像

  • 長楽寺御本尊・聖観音菩薩立像
  • 長楽寺御本尊・聖観音菩薩立像
  • 長楽寺御本尊・聖観音菩薩立像
  • 長楽寺御本尊・聖観音菩薩立像
    並んでおまつりされる長楽寺の聖観音様と清水寺の十一面観音様
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1つの大木から清水寺の十一面観音様とともに造立されたと伝わる『姉さま観音』

大聖不動明王様の隣に、安来市の長楽寺の御本尊様としてまつられていた木造聖観音菩薩立像がおまつりされている。長楽寺は山中に伽藍を構える古刹でしたが、故逢って長楽寺の仏様は現在普門院にてまつられている。

 

伝承では、一本の大木から長楽寺の聖観音様と安来の清水寺の十一面観音様の2体の観音様が造立されたと伝えられていて、おそらく長楽寺の聖観音様が大木の先の部分から造立されたことから『姉さま観音』と親しみを込めて呼ばれているのだそう。

 

長楽寺のある九重町の長老によると、清水寺で大きな法要があるときには、長楽寺のある九重町の皆さんが聖観音様を神輿に担いで清水寺へ運び、聖観音様と清水寺の聖観音様を並べておまつりしたこともあったそう。

 

長楽寺の聖観音様と清水寺の十一面観音様はともに「出雲三十三観音霊場」の札所本尊に選ばれており、お姫様がお祈りしていた出雲三十三観音霊場のお厨子では、長楽寺の聖観音様と清水寺の十一面観音様が並んでおまつりされている。

感想■『姉さま観音』と親しみを込めて呼ばれている聖観音様の表情は、穏やかで慈愛に満ちた表情をされているように見えました。いつかまた姉妹の観音様が再会する日を願いました。

芭蕉堂

  • 芭蕉堂
    松尾芭蕉坐像《荒川亀斎作》
  • 芭蕉堂
    芭蕉堂
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松尾芭蕉を偲ぶ人々が建立

本堂の左隣に建つ芭蕉堂は、『山陰の芭蕉』と称された山内 曲川(やまうち きょくせん)が願主となり明治26年4月に建立した建物。内部には荒川 亀斎(あらかわ きさい)が造立した松尾芭蕉像がおまつりされている。

感想■松尾芭蕉像をおまいりすると、その表情が少し厳しいように感じました。松尾芭蕉を偲ぶ後進の方々が建立したとお聞きし、偉大な俳諧の先達としての威厳にあふれているお姿をされているのかなと思いをはせました。

稲荷社

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松平直政公が松江城におまつりした吒枳尼天をおまつりする

稲荷社は境内の南西に建てられている社殿。第五代松江藩主・松平直政公は松江城の城山に稲荷社を創建し、その別当職に普門院を創建した賢清上人を任命した。それ以来、明治時代に神仏分離が行われるまで、普門院の歴代住職が稲荷社の別当職を拝命していたと伝えられている。

 

江戸時代、白い狐に乗る天女のお姿である吒枳尼天(だきにてん)様が城山の稲荷社でおまつりされていた。しかしながら明治時代に神仏分離が行われ、吒枳尼天様をはじめとする仏様や仏教的なものを普門院へ移され、普門院の稲荷社でおまつりしている。

感想■お城から人々の営みにより近い普門院の境内にお移りになり、人々を見守り続ける吒枳尼天様。お札に描かれたその美しく穏やかな姿を想像し、そっと手を合わせました。

観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)

  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    観月庵
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    観月庵
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    観月庵
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    観月庵
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    観月庵
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    腰掛待合
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    腰掛待合 宍道湖におけるシジミ漁で使われていた漁船の舟板を用いた天井
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    腰掛待合 様々な色彩の石が彩る
  • 観月庵(かんげつあん、松江市指定文化財)
    観月庵とともに当時から伝えられている庭園・心字池
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夜空に昇る月を楽しむ

観月庵は享和元年(1801)に建立された茶室。大名茶人として名をはせた細川忠興公を流祖とする武家茶道・三斎流の宗匠である荒井 一掌(あらい いっしょう)の好みをもとに、普門院第9世住職である慧海法印(えかいほういん)が建立した。

 

観月庵は東側に大きな円窓が設けられている二畳隅炉の席と四畳半の席から構成されている。二畳隅炉の席の席の円窓からは、嵩山(だけさん)に昇る月を、そして茶室の前の心字池の水面に映る月の姿を楽しむことができたという。 また、雪や雨が多い松江の気候を考慮し、にじり口の近く、庇の下に蹲(つくばい)が設けられるほか、飛び石を高く据えている点が特色であるという。

 

観月庵へ至る飛び石の途中に建てられている腰掛待合も観月庵と同時期に建立された建物。様々な色の石を地面に置き、宍道湖でのシジミ漁で使われていた漁船の舟板を天井板に用いるなど趣向が凝らされている。

 

大名茶人として名高い松平治郷(不昧)公は、警護の者2、3人を連れて松江城から小舟に乗って来られたそう。観月庵の二畳隅炉の席で慧海法印とともに夜空に輝く月の姿を楽しんだとか。

感想■観月庵や露地庭園に施された様々な工夫をお聞きし、ただ単に茶室でお茶を楽しむだけでなく、お茶室のある空間全体で人々の感覚を呼び起こし、自然の美しさを感じながら、人々との交流を楽しむ。このような空間が、普門院に伝えられていることを実感し、深く感動しました。江戸時代の人々が楽しんだという月の姿に思いを馳せました。

report

学生レポート

奈良教育大学 3年

ご住職からお話しをお聞きし、松江藩や地域との関わりについてのお話をお伺いし、これまでの庇護を受けて隆盛を迎えた時期もある一方、政権の移転により寺域を狭めざるを得なかった事情等、様々な歴史の上で今日もなお、松江城の鬼門封じとして不動明王様をお祀りしておられるという信仰の厚みを感じました。また松平不昧公の観月の意趣には数寄心をくすぐられる思いであり、あの円窓から眺める月と池の水面に映る月影はさぞかし松江の涼しい風情に似合うのだろうなとお茶を頂戴してしげしげと想いを馳せたひとときを過ごすことができました。

history

ご由緒

慶長12年(1607)、松江藩初代藩主とされる堀尾吉晴公により、現在の松江市西川津町に『願応寺』として創建された。願応寺は、豊臣秀吉公をまつる豊国神社の別当寺としての役割を担っていた。初代住職は安来の清水寺大宝坊賢義のお弟子さんで賢清上人という方。後に豊臣家が滅亡したことにより願応寺はその禄高を没収されたが、第三代堀尾忠晴公が住職である賢清上人の才覚を惜しみ、堀尾家の別所が存在した現在の松江市北寺町に願応寺を移転させ、現在の『普門院』へと名前が変更された。

延宝4年(1676)、白潟大火により堂塔伽藍が全焼してしまい、松江城の鬼門の方角である現在の境内地へと移転し復興された。しかしながら、享保6年(1721)に再び火災に見舞われ焼失。享保17年(1732)、現在の本堂が仮本堂として再建された。

大名茶人として名高い松平治郷(不昧)が訪れ、夜空に輝く月を楽しんだとされる茶室・観月庵が伝えられていることでも知られている。

info

参拝情報

名称
松高山 普門院
(しょうこうざん ふもんいん)
所在地
島根県松江市北田町27
googleMAP
参拝時間
8:00~16:00
※定休日:毎週火曜日
※悪天候・行事等により拝観時間の変更やお休みをいただく場合がありますので予めご了承ください。
※冬季1、2月の拝観は要予約
(年末年始:休観とさせていただきます)
※学校単位、団体での拝観は、事前の連絡をお願いします。
拝観料
■拝観のみ(お一人あたり)
300円

■お抹茶付き(お一人あたり)
1000円
※季節によりお菓子は異なります。
宗派
天台宗
御本尊
不動明王
宝物殿
アクセス
■公共交通機関
・JR松江駅より松江市営バス乗車。『北殿町』バス停下車後、徒歩約5分。
・松江城より徒歩約6分。

■車
JR松江駅より約10分。
駐車場
あり
Webサイト
https://matsue-fumon.jp/

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