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ご由緒
慶長12年(1607)、松江藩初代藩主とされる堀尾吉晴公により、現在の松江市西川津町に『願応寺』として創建された。願応寺は、豊臣秀吉公をまつる豊国神社の別当寺としての役割を担っていた。初代住職は安来の清水寺大宝坊賢義のお弟子さんで賢清上人という方。後に豊臣家が滅亡したことにより願応寺はその禄高を没収されたが、第三代堀尾忠晴公が住職である賢清上人の才覚を惜しみ、堀尾家の別所が存在した現在の松江市北寺町に願応寺を移転させ、現在の『普門院』へと名前が変更された。
延宝4年(1676)、白潟大火により堂塔伽藍が全焼してしまい、松江城の鬼門の方角である現在の境内地へと移転し復興された。しかしながら、享保6年(1721)に再び火災に見舞われ焼失。享保17年(1732)、現在の本堂が仮本堂として再建された。
大名茶人として名高い松平治郷(不昧)が訪れ、夜空に輝く月を楽しんだとされる茶室・観月庵が伝えられていることでも知られている。
