history
ご由緒
江戸時代の中期頃、東照宮の別当寺であった圓流寺の僧侶が当地に中途開山されたと伝えられている。それ以前の詳細な由来は不明であるという。しかしながら、室町時代に造立されたと考えられてる丈六の十一面観音菩薩坐像や平安時代に造立された二天王立像をおまつりすることから、前身となるお寺やお堂が存在していたと推測されている。遍照寺が伽藍を構える下佐陀地域は、古来より農業が盛んな土地として知られ、遍照寺は地域の人々が五穀豊穣の祈りを捧げる拠り所として歴史を紡いでいる。
地域の人々を見守り続ける大きな十一面観音様
いいね
0
へんじょうじ
島根県松江市
存在感のある大きな十一面観音様のお姿からは、どのような願いを受け止めてくださるような安心感が感じられます。左右におまつりされる二天王様の勇ましく凛々しいお姿も印象的です。
観音堂(本堂)は、昭和13年(1938)に建立された建物。瓦葺の建物で、かつての屋根の棟には石製の棟飾りがのっていたという。
観音堂(本堂)の中央に、丈六の木造十一面観音菩薩坐像がおまつりされている。室町時代に造立された観音様であると考えられ、江戸時代半ばに遍照寺が創建される以前から近隣でおまつりされていた観音様であると推測されている。
左手に、蓮の花と葉を入れる水瓶を持ち、その水瓶に右手を添える。頭髪は頭上で高く結い上げられ宝冠をのせ、あらゆる方向を向く小さなお顔をのせている。
詳しい来歴は不明であるが、古来より地域の五穀豊穣の祈りを受け止めてこられた十一面観音様であり、現在も十一面観音様の前で五穀豊穣と所願成就を祈る護摩が修される。
現在は行われていないが、毎年正月に『御祷(おとう)』という年中行事が行われていた。その『御祷』では、地域の方々が『観音くじ』を引き、当たりを引いた人は、遍照寺が持つ耕作地を1年間耕作する権利を得たという。その際、収穫した作物のうちの何割かを自分のものとすることができたと伝えられている。その時に使用されていた『観音くじ』が現在も伝えられている。
十一面観音菩薩様の左右には、平安時代に造立されたと考えられている二天王様がまつられている。それぞれ広目天・多聞天とされているが、持物やお姿から、持国天・増長天と推定されている。四天王立像のうちの2躯であるのか、当初から二天王として造立されたのかは不明であるが、地域の近くを通る街道に行き交う人々を守るために造立されたのではないかと推測されている。
回向堂は、檀家の皆さんの御位牌をおまつりし菩提を弔う場所。数代前のご住職のときに困難に直面した折に、地域の方々から御位牌をお預かりして以来、地域の方々とともに大切に守られている場所であるという。
堂内中央には、大日如来様と伝える仏様を中央におまつりし、左右に地蔵菩薩様や伝教大師をおまつりしている。天井に描かれた華やかな草花の絵は小林探水画伯によって描かれ、昭和56年に奉納されたものという。
近年、地域にゆかりの深い方から寄進を受け、回向堂前の水屋の屋根が葺き替えられた。
鎮守社には、天照大御神と弁財天がおまつりされているという。江戸時代末期頃に建立された建物であると伝えられ、建物の前には、文政13年(1830)に寄進された刻銘が残る灯篭が残されている。
鎮守社内部の天井には、赤や白、青、黒、緑などで描かれた極彩色の天井画が描かれている。
遍照寺が伽藍を構える近隣の地域の人々が協力して蓮の花を育てているという。蓮の花が咲く季節には、美しい蓮の花が咲き、人々を楽しませているという。
学生レポート

奈良大学 大学院 2年
ご由緒
江戸時代の中期頃、東照宮の別当寺であった圓流寺の僧侶が当地に中途開山されたと伝えられている。それ以前の詳細な由来は不明であるという。しかしながら、室町時代に造立されたと考えられてる丈六の十一面観音菩薩坐像や平安時代に造立された二天王立像をおまつりすることから、前身となるお寺やお堂が存在していたと推測されている。遍照寺が伽藍を構える下佐陀地域は、古来より農業が盛んな土地として知られ、遍照寺は地域の人々が五穀豊穣の祈りを捧げる拠り所として歴史を紡いでいる。
参拝情報