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ご由緒
修験道の開祖である役行者によって開創された寺院で、弘法大師空海らも修行を行った場所と伝えられている。境内には清流が通り、四十八の滝が続き修験者が修行に励んでいたという。平安時代の嘉祥3年(850)に比叡山の僧侶である恵亮和尚が大威徳法という修法を行うと、三の滝から牛に乗った姿の大威徳明王が現れ、そのお姿を彫刻で表し、ご本尊としてまつったことで、大威徳寺という寺号となったと伝わる。
紅葉の理想郷が広がる山岳修行の霊地
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だいいとくじ
大阪府岸和田市
大威徳寺には国の重要文化財に指定される室町時代に建てられた多宝塔や江戸時代に建てられた本堂等が残り、修験道で栄えた当時の空間を実感することができます。また、このお寺は江戸時代から続く紅葉の名所で、秋の時期には参拝とともに多くの紅葉狩りの方々も訪れる寺院です。
平安時代の嘉祥3年(850)3月25日に比叡山の僧侶である恵亮和尚が訪れ、この地で大威徳法という修法を行なった。すると、三の滝から牛に乗った姿の大威徳明王が出現したという。恵亮和尚は出現された大威徳明王のお姿を楓の木に彫り、本尊としてまつったという。
御本尊・大威徳明王像は牛に乗り6つの顔・6本の手足がある姿で、平安時代に造立されたと考えられているお像。勇ましいお姿から受験や試合などの勝負事に関する信仰や牛に乗っているお姿から農業に関わる信仰が特に篤い。以前は農耕用に飼育している自慢の牛を連れて毎年3月25日、8月25日に行われる大法要にお参りしていたという。
御本尊様の両脇には、牛滝講で信仰されていた大威徳明王像がおまつりされている。牛滝講とは、奈良や和歌山など、遠方で簡単には大威徳寺にお参りできない信者さんたちがそれぞれの地域ごとに結成した集団であり、御本尊様の御分身をおまつりしていた。現在、牛滝講の存続が難しくなり、地域でまつられていた御分身が大威徳寺に戻りご本尊とともにまつられている。
御本尊様は秘仏であり、毎年3月25日、8月25日に行われる大法会のときと1月1日、紅葉祭りの日の年間4日間のみ御開帳されるが、御本尊様の前には白布がかけられるため、直接お姿を拝する事はできない。
大威徳寺の御本尊・大威徳明王像をまつる建物。延宝4年(1676)に建立され、平成元年に解体修理が実施された。
本堂正面(谷側方向を向く)と参道の向きが反対向きになっていることが特徴。その理由として、本堂正面を御本尊が出現した滝がある方向へとしたため、もしくは、行者の方々が谷側から訪れることが多かったため、など複数の理由が考えられている。
本堂内には、役行者をはじめ様々な仏様がおまつりされている。
本堂後方に建つ多宝塔は、永正12年(1515)から天文20年(1551)にかけて建立された建物。当初は現在のような瓦葺の建物ではなく、板を葺く杮葺(こけらぶき)や檜の皮を葺く檜皮葺(ひわだぶき)の建物であったと考えられている。
一層目(初層)の壁板に永正12年(1515)の墨書が残るほか、多宝塔上部の相輪の伏鉢という部分に天文20年の刻銘が残り、数十年をかけて建立された建物であると推測されている。
昭和50年に解体修理を実施したところ、複数枚の棟札が発見され、約100年ごとに修理が実施されてきたことが判明した。
修験道の開祖とされる役行者は、和歌山県・大阪府・奈良県にまたがる「葛城(かつらぎ)」の峰々で最初に修行を積んだと伝えられている。役行者は、葛城の山中に28品から構成される法華経を1品ずつ埋納し、経塚を築いたという。
大威徳寺の境内には、第10番目の経塚(大威徳寺法師品(だいいとくじほっしほん))が伝えられており、現在でも葛城の峰々を巡る多くの行者が祈りをささげている。経塚は大きな自然石から構成されており、自然石の北側側面に大日如来を表すバンの種字を刻む。経塚の前には、行者が修行を終えた際に修行地に納める札である碑伝(ひで)が置かれている。 令和2年には「葛城修験 -里人とともに守り伝える修験道はじまりの地-」の構成文化財の一つとして、日本遺産に認定されている。
大威徳寺が伽藍を構えている牛滝山には、御本尊が出現した三の滝をはじめ、一の滝、二の滝と大小さまざまな滝が流れている。往時は、手前から一の滝、二の滝、三の滝と続き、四十八の滝が続いていたと伝えられている。これらの滝は、行者が修行を積む行場として使用されていたという。
また、江戸時代には紅葉の名所として知られ、現在の大阪府南部の名所をまとめた『和泉名所図絵』に紅葉狩りの名所として記載されている。 現在でも大阪府を代表する紅葉狩りの名所として有名で、毎年11月23日には「紅葉祭り」が開催され、多くの参拝者が訪れている。
学生レポート

奈良大学大学院1年
ご由緒
修験道の開祖である役行者によって開創された寺院で、弘法大師空海らも修行を行った場所と伝えられている。境内には清流が通り、四十八の滝が続き修験者が修行に励んでいたという。平安時代の嘉祥3年(850)に比叡山の僧侶である恵亮和尚が大威徳法という修法を行うと、三の滝から牛に乗った姿の大威徳明王が現れ、そのお姿を彫刻で表し、ご本尊としてまつったことで、大威徳寺という寺号となったと伝わる。
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