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ご由緒
水間寺は、奈良時代に聖武天皇の勅命により行基菩薩が開いたと伝えられている。水間寺に伝わる『水間寺縁起』によれば、聖武天皇が都の西南の方向に観音菩薩が出現するというお告げを感得し、行基菩薩にその霊地を探させたという。すると、行基菩薩は十六童子に導かれ水間の地にある滝にたどりつき、そこで老翁より聖観音菩薩像を授けられたという。その後老翁は大きな龍となり滝壺に消えたことから、水間寺の山号は「龍谷山」となり、天平16年(744)に授けられた聖観音菩薩像を本尊に水間寺が創建されたと伝えられている。創建からおよそ500年後の建久元年(1190)には七堂伽藍が整備・完成し、南北朝時代には後村上天皇の祈願所となり、楠木正儀らにより寺領が安堵された。その後、豊臣秀吉による紀州征伐により被害を被ったが、小出秀政をはじめとする歴代の岸和田城主により整備・再建が続き、文政10年(1827)に整備された本堂や三重塔が現在に伝えられている。 水間寺には寺僧制度が現在も伝わり、寺僧の家の人々は60歳になると得度をし水間寺を守り伝えるという。
