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地域の人々が得度してお寺を守り伝える文化が伝わる古刹

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みずまでら

水間寺

大阪府貝塚市

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大阪府南部に一大伽藍を構える水間寺は、行基菩薩が龍神より聖観音菩薩像を授けられたことにより始まったと伝えられています。行基菩薩と龍神が出会った滝を中心に、およそ1300年間の長い月日のなかで様々な仏さまがおまつりされ信仰を集めてきました。また、水間寺には「寺僧制度」が受け継がれており、地域の人々が一丸となって水間寺の歴史を紡いでいます。堂々たる水間寺の伽藍には、地域とともに歩んできた水間寺の歴史が秘められています。

巡りポイント

水間寺の境内には、岸和田藩の歴代藩主の寄進によって建立・整備された豪壮な建物に加えて、様々な仏さまがおまつりされる小堂が数多く建てられています。水間寺の境内には、地域の方々の日々の祈りを受け止める様々な仏さまの姿があります。

本堂(貝塚市指定文化財)

  • 本堂(貝塚市指定文化財)
  • 本堂(貝塚市指定文化財)
  • 本堂(貝塚市指定文化財)
    本堂内陣
  • 本堂(貝塚市指定文化財)
    お前立:聖観音菩薩立像
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    伝教大師坐像
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    大日如来坐像
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岸和田藩主が寄進した堂々たる建物

本堂は、水間寺の秘仏ご本尊・聖観音菩薩像をおまつりする建物である。現在の建物は、岸和田藩主岡部長愼公によって寄進により、文政10年(1827)に再建された十三間四方の大きな建物である。二重の屋根に本瓦を敷いた重厚な様式が特徴であるとともに、内部は外陣が広くなるように設計されている点も特徴である。ご本尊の前には、お前立の聖観音菩薩立像が、左右には阿弥陀如来像と文殊菩薩像がおまつりされている。貝塚市指定文化財。

感想■水間寺に近づくと見えてくる本堂の大屋根の迫力に息をのみました。境内に入り、本堂の全体像が見えると、本堂から発せられる圧倒的な存在感を感じ、一寸八分(約6センチメートル)と伝えられる小さなご本尊がいかに信仰を集めていたかを体感できる建築だと思います。

三重塔(貝塚市指定文化財)

  • 三重塔(貝塚市指定文化財)
  • 三重塔(貝塚市指定文化財)
  • 三重塔(貝塚市指定文化財)
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明治以前に建立された大阪府唯一の三重塔

本堂の左手側に建つ三重塔は、天保5年(1834)に再建された建物であり、大阪府下で明治時代以前に建てられて現存している唯一の三重塔として知られている。創建時は、多宝如来を安置する多宝塔であったと伝わり、孝謙天皇が仏舎利をおさめる舎利塔を内部にまつったと記録に残されている。内部には、釈迦如来像を中心に四天王立像が四方を守護し、極彩色の障壁画に彩られている。一層目の蟇股には十二支の彫刻が彫られていることも特徴的である。井原西鶴の『日本永代蔵』に登場する塔のモデルになったとも考えられている。

感想■外観は木材の色を生かしたシンプルな色彩ですが、内部に入ると様々な顔料や漆を使用した鮮やかな空間が広がっており、外側と内側の空間の色彩美のギャップが印象深く心に残っています。創建当初はお釈迦さまの舎利をおさめていた多宝塔であり、その歴史があるからこそ、現在も三重塔の中心には釈迦如来像がおまつりされているのだとお聞きしました。そのお話を聞き、1つ1つに意味があり、そこには歴史の繋がりが秘められているのだと実感しました。

降臨の瀧

  • 降臨の瀧
  • 降臨の瀧
  • 降臨の瀧
    寺宝である龍神の手
  • 降臨の瀧
    降臨の瀧観音堂
  • 降臨の瀧
    三社権現をまつる鎮守社
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水間寺創建に関わる霊地

水間寺の境内の北西には、水間寺創建の際、行基菩薩と龍神が出会い、行基菩薩が龍神から聖観音菩薩像を授かった滝「降臨の瀧」が伝えられている。創建の際、行基菩薩は十六童子(16人の子どもたち)に導かれ、この滝を訪れたという。すると、白髪の老人が出現、自分の手首を嚙みちぎり、その手に捧げていた聖観音像を行基菩薩に授け、龍へと変化し飛び去ってしまったと伝わる。水間寺には、龍神が噛み千切った手が宝物として伝わっており、本堂の展示室で参拝者の皆さんに公開されている。また、降臨の瀧の近くには、創建時の逸話に基づき、降臨の瀧観音堂と行基菩薩が創建時に熊野権現・蔵王権現・白山権現をおまつりしたという鎮守社(三社権現)が建てられている。

感想■水間寺の創建に関わる重要な霊地が今も変わらず伝えられていることに感動しました。寺僧の皆さんにお聞きすると、この地には行基菩薩だけでなく、伝教大師最澄や弘法大師空海が訪れたと伝わっているそうです。伝教大師は龍神が立った巨石の側面に不動尊を刻んだとされているそうです。歴史上の著名な僧侶の方々が集ったとされるこの霊地がこれから先も変わらずに伝わってほしいと心より願いました。

行基堂(貝塚市指定文化財)

  • 行基堂(貝塚市指定文化財)
  • 行基堂(貝塚市指定文化財)
  • 行基堂(貝塚市指定文化財)
    行基菩薩が姿を写したという鏡池
  • 行基堂(貝塚市指定文化財)
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水間寺を創建した行基菩薩をまつる

行基堂は、本堂の背後に架かる通天橋を渡った先にある山中に建っている。水間寺創建の際、行基菩薩は鏡池に写る自分の姿を見ながら、霊椿木を用いて自作の像を安置したと伝えられている。しかしながら、天正年間の戦乱の際に建物共々焼失してしまう。現在の行基堂は、17世紀中ごろの建築とされ、水間寺の伽藍のうち最古の建物である。内部には、江戸時代に造立された作者不詳の行基菩薩坐像が安置されている。

感想■行基堂は水間寺に伝えられている建物のうち、最古の建物であるとお聞きしました。お話を伺いながら、水間寺を創建した行基菩薩のお姿は何としてでも守らなければならないと危険を顧みず行動した先人の方々の存在があり、これこそが行基堂が水間寺最古の建物になっている理由なのかなと感じました。戦乱や火災の被害にあいながらも建物や仏さまを伝えた先人たちの姿が行基堂から感じました。

護摩堂・経堂・常寂光堂・愛染堂・薬師堂・弁天堂・鐘楼

  • 護摩堂・経堂・常寂光堂・愛染堂・薬師堂・弁天堂・鐘楼
    鐘楼
  • 護摩堂・経堂・常寂光堂・愛染堂・薬師堂・弁天堂・鐘楼
    経蔵にまつられる傅大士
  • 護摩堂・経堂・常寂光堂・愛染堂・薬師堂・弁天堂・鐘楼
    常寂光堂
  • 護摩堂・経堂・常寂光堂・愛染堂・薬師堂・弁天堂・鐘楼
    薬師堂
  • 護摩堂・経堂・常寂光堂・愛染堂・薬師堂・弁天堂・鐘楼
    弁天堂
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多様な信仰が息づく

水間寺の境内には、様々な仏さまがおまつりされている。護摩堂には、鎌倉時代に造立されたと推測される不動明王立像がおまつりされ、毎月18日に護摩供養が執り行われている。また、かつて慈覚大師円仁がこの地で護摩を修されたとも伝えられている。経堂には、寛文10年に刷られた大般若波羅蜜多経600巻と明治15年に出版された大日本校訂大蔵経が納められている。正面には輪蔵を発明した傅大士(ふだいし)とその息子2人がおまつりされている。薬師堂には室町時代に造立された薬師如来像が安置されているという。常寂光堂は、昭和53年に創建された念仏道場で一願観音菩薩立像をおまつりし、弁天堂は弁財天をおまつりしている。愛染堂には愛染明王がおまつりされ、約700年前に水間の豪農の娘・お夏と勅使・山名清十郎の恋を成就させた愛染明王であると伝わる。

感想■水間寺の境内には、様々な仏さまがおまつりされており、仏さま一体一体に謂れや逸話が伝えられている事に興味を持ちました。逸話が伝えられているということは、それぞれの仏さまに人々との繋がりがあったということだと思います。多様な信仰が息づく空間が今に受け継がれている事を実感しました。

report

学生レポート

立命館大学大学院1回生

寺僧の皆さんから水間寺独特の寺僧制度という仕組みで水間寺を守り伝えているとお聞きし、僧侶が修行するためだけではなく、地域とともにあり続ける水間寺の姿を強く感じました。また、ご案内いただいた寺僧の皆さんとお話していると、皆さんがいかに水間寺を大切にされているかが伝わってきました。そして、創建の際にご本尊である聖観音菩薩が老翁から行基菩薩へと渡された場所である滝が今も変わらず伝えられていることからも、水間寺の歴史を皆さんが大切にしていることが伝わってきました。加えて、今回の訪問の間、水間寺にはお参りする人、散歩する人、観光の人など様々な人が訪れていることに気が付きました。水間寺が地域社会の1つの基点として、人々の生活の営みの場所であるのだと強く感じました。
さらに、三重塔の内部には鮮やかな様々な顔料を使い、仏さまの世界が表現されていました。この彩色についてお聞きしたところ、建てられた当時の彩色が多く残っているとのことでした。建てられてから数百年たっても建てられた当初の姿を残していることの凄さを実感しました。

history

ご由緒

水間寺は、奈良時代に聖武天皇の勅命により行基菩薩が開いたと伝えられている。水間寺に伝わる『水間寺縁起』によれば、聖武天皇が都の西南の方向に観音菩薩が出現するというお告げを感得し、行基菩薩にその霊地を探させたという。すると、行基菩薩は十六童子に導かれ水間の地にある滝にたどりつき、そこで老翁より聖観音菩薩像を授けられたという。その後老翁は大きな龍となり滝壺に消えたことから、水間寺の山号は「龍谷山」となり、天平16年(744)に授けられた聖観音菩薩像を本尊に水間寺が創建されたと伝えられている。創建からおよそ500年後の建久元年(1190)には七堂伽藍が整備・完成し、南北朝時代には後村上天皇の祈願所となり、楠木正儀らにより寺領が安堵された。その後、豊臣秀吉による紀州征伐により被害を被ったが、小出秀政をはじめとする歴代の岸和田城主により整備・再建が続き、文政10年(1827)に整備された本堂や三重塔が現在に伝えられている。 水間寺には寺僧制度が現在も伝わり、寺僧の家の人々は60歳になると得度をし水間寺を守り伝えるという。

info

参拝情報

名称
龍谷山水間寺
(りゅうこくさんみずまでら)
所在地
大阪府貝塚市水間638
googleMAP
参拝時間
8:30~16:00
拝観料
無料
宗派
天台宗
御本尊
聖観音菩薩
宝物殿
本堂内に展示室あり
アクセス
■公共交通機関:
南海電鉄貝塚駅下車後、水間鉄道に乗り換え。終点水間観音駅で下車後徒歩10分。
■車:
阪和自動車道「貝塚インター」で下りて、貝塚中央線を通る(貝塚インターからは約15分)。
駐車場
第1駐車場と第2駐車場あり(ともに無料)。マイクロバス以上の大型車は事前に寺務所までご連絡ください。
Webサイト
https://mizumadera.or.jp/