「歴史を繋いだ想いを未来へつなげる」日本文化の魅力交流ポータル

  • Instgram
  • facebook

寛永寺で最も早く建立された子院

いいね 0

かんえいじごこくいん

寛永寺 護国院

東京都台東区

  • 行きたい
  • 行った
東京都台東区に位置する「護国院大黒天」は、かつて東叡山寛永寺の三十六坊の一つで、寛永寺の中では最も早くできた子院の一つです。護国院は、寛永寺のお堂の一つである釈迦堂の管理を歴代任されており、現在は釈迦堂の本尊である釈迦如来、護国院の本尊である千手観音菩薩、徳川家光から賜った大黒天が同じ堂内に祀られています。

巡りポイント

護国院は寛永寺の子院の一つで、現在は寛永寺釈迦堂の本尊であった釈迦如来像と、護国院としての本尊の千手観音像の両方を本尊としておまつりしています。東京というにぎやかな場所にありながらも、地域に根差し明るく開けた寺院です。

本堂

  • 本堂
  • 本堂
  • 本堂
  • 本堂
  • 本堂
  • 本堂
  • いいね

寛永寺内で数少ない江戸時代本堂

護国院は元は別の場所で建てられ、鬼門封じの祈願を行うために開かれた寺院である。江戸幕府三代将軍徳川家光の葬儀を行なったことから寛永寺が菩提寺を兼任することとなり、将軍の墓所の用地を作るため護国院の場所が移されこの場所になった。本堂は、享保年間の大火のすぐに再建された約300年前の建築である。寛永寺は幕末の上野戦争や空襲、関東大震災等の被害に遭っていることため、江戸時代から残っている建築はこの護国院と清水観音堂のみである。

感想■中に入ってみると江戸時代の当初の彩色が残る綺麗な姿で守られていました。この本堂は以前はもっと奥の場所にあったものを学校を建てるのにあたり曳家で動かしたり、蔀戸で暗かったのをガラス戸に変えたそうです。江戸時代のものでありながら現代の信仰に合わせて変え生かす姿を感じることができ、このような姿があるからこそ地域に開いた寺院であり続けているのだと思いました。

釈迦三尊像

  • 釈迦三尊像
  • 釈迦三尊像
  • 釈迦三尊像
  • 釈迦三尊像
  • いいね

寛永寺釈迦堂の本尊

本尊・釈迦三尊像は火災から逃れ創建当初の江戸時代前期の像が残されているとされている。春日仏匠の作であると伝わる。寛永寺全体としてお釈迦さまの生まれた4月8日の花祭り、お釈迦さまの亡くなられた2月15日の涅槃会の年2回は、寛永寺の住職が全員集まり法要を護国院で行っている。

感想■中央におまつりされている釈迦三尊像は江戸時代の像で、凛々しい表情のお像であると感じました。寛永寺の釈迦堂の本尊が火災等の災害から守られ、現在にも綺麗な姿で拝むことができることができることに感銘を受けました。

大黒天

  • 大黒天
  • 大黒天
  • いいね

徳川家光から賜った大黒天

寛永年間の終わり頃、大きな戦により亡くなられた多くの方の供養を行いたいという風潮が高まり、寛永寺そして護国院として供養を行いたいと「念仏大回向」を奉修した。その当時はまだ寛永寺としてお堂が整っていなかったため、その当時最も大きかったと思われるこの釈迦堂で生順僧正が敵味方関係なくご回向を行われた。そのことに感心された三代将軍徳川家光が褒美として寺領を寄進する話がでたが、それを生順僧正は断った。その代わりに家光自身が大切にしていた大黒天の画像をいただいた。

大黒天画像は、甲子日や毎月3日に御開帳しており、普段は木造の大黒天を拝むことができる。

感想■徳川家光から賜った大黒天画像が残っていることもすごいと思う感じたのですが、生順僧正が家光からの褒美を受け取らなかった代わりにいただいたものであると聞き驚きました。そのような信仰に篤く自分のためではなく他のために動くことのできる人だったからこそこのお寺を任される人であり、家光の大切にしていた大黒天画像を賜ることとなったのだと思いました。

千手観音菩薩坐像

  • 千手観音菩薩坐像
  • 千手観音菩薩坐像
  • いいね

護国院の本尊

護国院という子院としての本尊は、千手観音である。本堂向かって左側に千手観音坐像が安置されている。以前は釈迦堂というお堂とは別に護国院にも建物があり、護国院の内仏として千手観音が祀られていた。寺領の縮小や移転、曳家を行ったとき等でお寺の建物の改築を行われ、現在のように脇にまつられる形になっている。

感想■護国院大黒天とも釈迦堂とも呼ばれるこの寺院ですが、複数の寺院が合わさっているために複数の名で呼ばれ、護国院としての本尊が千手観音像と知り驚きました。江戸時代ならではの綺麗なお像で、優しく微笑んでいるようにも感じました。

report

学生レポート

奈良大学文学部4回生

護国院大黒天という呼び名とともに釈迦堂という呼び名で呼ばれていることから、どのような寺院であるのか不思議に思っていたのですが、集まって現在の護国院があることを聞きました。現在は行われていないとのことでしたが、本堂には甲子講の講員の名簿等が飾られており、大勢の方の名前が記されていました。
周りに住宅や学校がある中で、護国院は開かれ気軽に立ち寄りやすいように思いました。祖父の代から毎日お寺を開いており、お寺の中に入り内陣等まで自由に見てもらえるようにしているとおっしゃっていたことに驚きました。内陣に入ることは他の寺院ではあまり行っておらず、お寺にどのようなものがあるのかを知ることができる貴重な体験であると感じました。そのような体験がお寺という存在を身近に感じる一歩であると思います。毎日お寺を開けることは大変なことも多いと思います。しかしそれがあることにより、地域に根差しさまざまな人々に愛され、落ち着ける場所として護国院があるのだと感じました。

history

ご由緒

寛永寺は寛永2年(1925)に創建したが、一度にすべてができたのではない。はじめは本坊という住職が住まう建物から始まり、その後競い合うように建てられ、最も栄えたのが元禄年間(17世紀ごろ)であるといわれている。寛永寺は多いときで三十六坊(現在は十九坊)の子院があったといわれるが、護国院はその中でも早い段階で建てられた子院である。初期のうちに、釈迦如来を祀る釈迦堂として建てられました。護国院の最初の住職である生順僧正は、寛永寺を開いた天海僧正から厚い信頼を受けた弟子のひとりであった。その生順僧正は護国院の別当として釈迦堂の管理を任されており、それが今でも引き継がれている。

info

参拝情報

名称
東叡山寛永寺護国院
(とうえいざんかんえいじごこくいん)
所在地
東京都台東区上野公園10-18
googleMAP
参拝時間
9:00~17:00
拝観料
宗派
天台宗
御本尊
千手観音・釈迦如来
宝物殿
なし
アクセス
■バス
 ・台東区コミュニティバス 東西めぐりん「谷中清水町公園」下車1分
 ・都営バス上26「谷中」下車4分
■鉄道
 ・鶯谷駅北口 徒歩10分
 ・日暮里駅南口 徒歩9分
 ・上野駅浅草口 徒歩23分
 ・地下鉄メトロ千代田線 根津駅1番口 徒歩9分
 ・都営地下鉄大江戸線 上野御徒町駅 徒歩25分
駐車場
有り

近くの寺院を巡ろう