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ご由緒
宮崎の地を訪れた伝教大師によって開かれたとも、それ以前の養老年間に開かれたとも伝わる。かつてこの地を訪れた瓊瓊杵尊が「この場所に王の治める楽土を築きたい」と願ったことから王楽寺という寺号になったと伝わる。山岳信仰や神仏習合の拠点寺院として栄え、王楽寺の住職が鵜戸神宮の別当寺の住職を兼務していたこともあるそう。ご本尊の薬師如来三尊像は鎌倉時代に造立され、国の重要文化財に指定されている。
神仏習合の祈りの空間が境内に広がる
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おうらくじ
宮崎県宮崎市
王楽寺は伝教大師最澄によって開闢された寺院で、王楽寺という名の由来は神話の時代、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)との逸話にまで遡る寺院です。全国でも少ない神話の時代から続く王楽寺を巡り、1000年以上もの歴史を経て境内に残る神仏習合の遺風が境内に満ちています。
王楽寺は、長い歴史の中で山岳信仰・修験道の一大拠点となっていた時代がある。本堂が他のお寺ではあまり見られない内陣が外陣に比べて高くなっているのは、竹篠山が山岳信仰の拠点として栄え、独自の文化を育んでいた名残と考えられている。さらに、本堂にはしめ縄がかけられているなど神仏習合の祈りの文化を今に伝えている。また、本堂中央は収蔵庫におまつりされているご本尊・薬師如来三尊像を拝めるように見通せるように工夫されている。本堂内には鎌倉時代に造立されたと考えられている持国天立像・毘沙門天立像をはじめ、不動明王立像や役行者像など山岳信仰に関わる様々な仏さまがおまつりされている。
王楽寺のご本尊は、薬師如来坐像を中尊とし両脇に日光菩薩立像・月光菩薩立像を配置する薬師三尊像である。伝教大師が造立したお像であると伝わっているが、鎌倉時代、13世紀初めの中央の仏師が造立に関わったのではないかと推測されている。寄木造りの薬師三尊像で、顔や身体は張りのある表現をし、衣の表現は鋭く表される。元禄12年に大坂に住む大仏師の手により修復されたという記録が残されている。また、昭和26年にも修復・漆替えを行っています。
王楽寺の境内には歴代住職の墓石となる石塔が伝えられている。室町時代から天正、慶長年間にかけて12支院を擁し栄えたという王楽寺は、鵜戸神宮の別当寺の住職も兼任していたという。王楽寺に伝えられている石塔の中にも別当寺の住職も務めた住職の墓石が伝えられている。現在でも、毎年2月の大祭に参列するほか、5月に鵜戸神宮で行われる別当宮司慰霊祭では法要をつとめているという。
学生レポート
立命館大学大学院1回生
ご由緒
宮崎の地を訪れた伝教大師によって開かれたとも、それ以前の養老年間に開かれたとも伝わる。かつてこの地を訪れた瓊瓊杵尊が「この場所に王の治める楽土を築きたい」と願ったことから王楽寺という寺号になったと伝わる。山岳信仰や神仏習合の拠点寺院として栄え、王楽寺の住職が鵜戸神宮の別当寺の住職を兼務していたこともあるそう。ご本尊の薬師如来三尊像は鎌倉時代に造立され、国の重要文化財に指定されている。
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