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武将たちから庇護をうけた岡崎屈指の名刹

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瀧山寺・瀧山東照宮

愛知県岡崎市

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鎌倉時代の仏師・運慶。その運慶が源頼朝公の弔いのために彫った観音像が瀧山寺におまつりされています。源頼朝公の身長と同じ大きさと伝わる観音像を参拝するために、日本各地から多くの参拝者が集います。また、ご本尊の薬師如来をおまつりする本堂には、近年国の重要文化財に指定された非常にユニークな仏像がおまつりされています。瀧山寺の隣には徳川家光公により創建された瀧山東照宮が極彩色の社殿を構えています。

巡りポイント

瀧山寺には運慶が造立した聖観音立像をはじめとして、多くの文化財が大切に守られてきました。これは瀧山寺の栄盛と厚い信仰によるものでした。瀧山寺には数々の仏さまがおまつりされていることに加え、隣接する瀧山東照宮を筆頭に様々な神様もおまつりされ、神さまと仏さまが同じ場所におまつりされる神仏習合の祈りの空間が広がっています。

三門(国指定重要文化財)

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鎌倉時代の壮大な三門

瀧山寺の境内からやや離れた位置に立つ三門は、鎌倉時代に飛騨の匠藤原光延によって造営されたとされる門で、重要文化財に指定されている。 尾垂木と呼ばれる木材が一箇所だけ逆になってしまっており、藤原光延は大工としてのプライドからこの誤りを理由に門の上からノミをくわえて飛び降り自害したと伝わる。

感想■瀧山寺の三門は、鎌倉時代の建築でどっしりとした重みを感じさせる建築であるとともに屋根の勾配がゆったりと大きく広がり、もとから大きな三門をより大きく感じさせるようでした。一箇所ミスをしてしまったために自害した伝説を聞き、それだけ真剣に取り組みできたものであるからこそここまでのものができ、それを守り伝えようとしたのだと実感しました。

本堂(国指定重要文化財)

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  • 本堂(国指定重要文化財)
    2022年訪問時撮影時撮影。提灯表面に焼け跡が残る。
  • 本堂(国指定重要文化財)
    2025年御開帳の際撮影。地域の皆さんの熱意により新調された提灯。
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    弁財天像
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    不動明王坐像
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    毘沙門天立像
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檜皮葺の雄大かつ優美な建築が建つ

瀧山寺本堂は和様を主とし、部分的に禅宗様を取り入れている。本堂の建立年代は『滝山寺縁起』によって貞応元年(1222)に足利義氏(室町幕府を開いた足利尊氏の先祖)によって再建されたとされているが、建築様式などから、14世紀後半頃の建立とも考えられている。 本堂内部には、秘仏ご本尊・薬師瑠璃光如来像をはじめ、日光菩薩・月光菩薩・十二神将立像(国指定重要文化財)や毘沙門天立像(愛知県指定文化財)、不動明王坐像(岡崎市指定文化財)、木造弁財天像(岡崎市指定文化財)、伝教大師坐像など様々な仏さまがおまつりされている。

感想■瀧山寺本堂はしっかりとしていて重厚感を感じさせるような建築で、厳重に中の仏様たちをお守りしていると感じられました。鬼祭りという火を使う祭りの場所となっており、本堂内にある大きな提灯にはその時にできた穴があるとのお話をお聞きしました。そのような中で火事にならずに残っていることにも驚きました。現在は令和7年に行われた秘仏ご本尊のご開扉に合わせ新調して、きれいな提灯になったそうです。

秘仏ご本尊・薬師如来坐像

  • 秘仏ご本尊・薬師如来坐像
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50年に一度ご開扉されるご本尊さま

瀧山寺本尊薬師如来坐像は、50年に一度のご開扉が行われるお像である。令和7年にご開扉が行われた。160cm程の大きなお像で、平安時代の作であるとみられる。長い間秘仏とされていたため、保存状態は良好であると考えられる。

感想■令和7年のご開扉法要に参加させていただきました。厨子の扉が開かれたとき、その場の空気が一瞬でがらりと変わったように感じました。薬師如来坐像は穏やかで柔らかい優しそうな表情をしており、優しく迎えてくれているようでした。秘仏のため、このお像について調査が行われておらず、詳しいことが分かっていないそうです。今回のご開扉を機に調査が行われる予定だそうです。

日光菩薩立像・月光菩薩立像・十二神将立像(国指定重要文化財)

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ご本尊をお守りする鎌倉時代の仏像

瀧山寺本堂の本尊脇侍の日光・月光菩薩及び十二神将像は鎌倉時代の作で重要文化財に指定さている。『瀧山寺縁起』の記述から仁治三年(1242)から建長二年(1250)の間に製作されたことが分かる像である。定型としてみられる形の像も含まれているが、他例にみられない形の像も含まれている異色な作例であり、それら両脇侍と十二神将が完在している貴重な一群である。
感想■瀧山寺の十二神将はバスローブのようなものを着ている像もあり、ユーモラスな表情や動きをする像たちで一体一体のたたえる感情に引き込ました。迫力もありながら親しみやすさも感じることのでき、見ている側を明るくしてくれるように感じました。住職からこの像に注目し研究なされた方のお話をお聞きし、寺院と研究者の方との信頼関係と調査によって分かったことを踏まえて文化財を未来へつなごうとしている人々の思いに胸が熱くなりました。

聖観音菩薩立像・梵天立像・帝釈天立像(国指定重要文化財)

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源頼朝公ゆかりの観音像

瀧山寺を代表する文化財として、運慶作の聖観音菩薩・梵天・帝釈天像がある。 源頼朝が亡くなった際、髭と歯が像内に納められたと伝わり、X線撮影での調査の結果、実際に像内に納入品が納められていることが判明している。 このお像を造らせたという寛伝は源頼朝の母の出身である熱田大宮司家の人物で、頼朝公の従兄弟にあたる人物である。
感想■これらの仏像は人の肌と同じような柔らかい体の表現をしており、実際の人のような温かみや艶めかしさを感じさせる像であると感じました。源頼朝の供養 式部僧都寛伝が造立し建仁元年(1201)に供養したと記す資料があり、頼朝の三回忌に、頼朝の等身大の仏様を作って弔うということをしたようです。頼朝を厳重におまつりしたいという気持ちにより、このような像が生まれたように感じられました。

十一面観音菩薩立像(愛知県指定文化財)

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見る角度や光のあたり方で表情が変化する美しい観音さま

鎌倉時代1210年~1220年頃の製作であると考えられる作風を有する十一面観音立像である。像高50㎝程の小さなお像でありながら玉眼を嵌入し、表面には様々な文様が施されている。保存状態が良く、当初の銅製装身具の大半や表面彩色等が遺る。十一面観音としては高い髻、後補の頭上面や化仏からは、元来は弥勒菩薩としてあった可能性が指摘される。康慶から定慶、善円へとつながる興福寺周辺の仏師の作であると考えられており、正治3年(1201)頃の運慶作の瀧山寺聖観音菩薩立像と合わせ、瀧山寺の鎌倉時代における興隆を感じることのできる像である。

感想■通路のそばのガラスケースに安置されており、正面からだけでなく像の横側や背面側に回りみることができました。背面側から見ると、なんとスカートを履いた女性の像のように見えます。私は向かって右側からの姿が一番きれいにみえるように思いました。この角度からは、正面の顔の額から顎までのラインが美しい横顔と、向かって右の顔の正面顔の両方を見ることができます。

宝物殿

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  • 宝物殿
    狛犬
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    天台大師坐像
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    良源坐像
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    鬼祭り面
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    菩薩面
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    錫杖
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瀧山寺の数々の宝物を守り展示する

宝物殿の中には、頼朝公ゆかりの観音像のほか国指定無形民俗文化財に指定される「鬼祭り」に使用する面や愛知県指定文化財の十一面観音菩薩立像や狛犬、菩薩面、錫杖、市指定文化財の慈恵大師像や天台大師像、十一面観音菩薩等様々な仏像や古文書、工芸品が安置されており、瀧山寺の信仰の深さを実感できる。

感想■多くの文化財が宝物館に安置されており、瀧山寺の歴史の深さを感じることができました。これだけのお像がおまつりされており、瀧山寺が多くの人々に愛されていたことを実感します。多くのお像があり、それぞれお像をみつめていくと、時が過ぎていることを忘れてしまうほど惹きつけられました。

瀧山東照宮(国指定重要文化財)

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    本殿
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    本殿
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    拝殿・幣殿
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令和7年に修復が完了した絢爛豪華な建築

瀧山東照宮は瀧山寺に隣接する神社。江戸時代に徳川家光公の命により現在の場所に創建したという。江戸時代の正保2年から正保3年(1646)にかけて、造営奉行・竹中重常のもとで建立・整備された鳥居、水屋、拝殿・幣殿、中門、本殿が境内に伝えられており、境内を囲む石柵や拝殿の前の銅灯籠なども含めて、国の重要文化財に指定されている。加えて、正保3年に徳川家光公と徳川家綱公がそれぞれ奉納した太刀 銘長光と太刀 銘正恒が伝えられており、ともに国の重要文化財に指定されている。とまた、境内には大名から寄進された灯籠が立ち並んでいる。拝殿の内部には、狩野探幽が描いたという三十六歌仙の額絵が飾られている。近年彩色の塗り直し修復が行われ、建立当初の鮮やかな姿がよみがえった。

感想■修復された鮮やかな彩色が見どころです。これには、可能な限り伝統的な塗装材料を用い文化財を修復することで、伝統を守り伝えようとする東照宮の方々やご住職、地域の皆さんの熱い想いが反映されています。

日吉山王社本殿(岡崎市指定文化財)

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全国的にも珍しい七間社流造の本殿

瀧山寺の本堂背後には、日吉山王社の本殿が建つ。日吉山王社は、12世紀頃、瀧山寺を中興した仏泉上人永救によって比叡山の麓に社殿を構える日吉大社から瀧山寺の鎮守として勧請されたことに始まるという。文応2年(1261)には、七間一面檜皮葺きの社殿を建立したと伝えられている。慶長13年(1608)に徳川家康公により建てられたと伝えられているが、現在に伝えられている建物は、本殿床下の背面板壁に「正保二年六月」と記された墨書が残されていることや建築部材の様式が瀧山東照宮の建物を構成する部材の様式と似ていることから、瀧山東照宮が建立された正保2年に再建されたと考えられている。全国的に七間社以上の流造の本殿建築は珍しいことに加えて、身舎(もや)を分けずに横長一室で構成する様式はさらに珍しく、全国的に見ても貴重な建築とされる。桟瓦葺きに改められていたが、平成31年(2019)から令和3年(2021)にかけて行われた全解体修復事業により、杮葺きに戻され往時の姿を取り戻している、日吉山王社には、鎌倉時代に遡る山王神像群が伝えられており、平成27年には岡崎市の文化財に指定された(岡崎市美術博物館寄託)。

感想■七間社の流造の本殿建築をはじめてみて、その規模の大きさに驚きました。さらに、身舎が一室からなっているとお聞きし、神様別にまつる空間をわけるのではなく、複数の神様を同じ一室でまつるということに、この日吉山王社に対する独自の信仰が息づいているのかなと感じました。本堂の背後に日吉山王社の社殿が建つ空間は、まさに神さまと仏さまが一つの空間におまつりされる神仏習合の祈りの空間であり、神さまと仏さまとの距離が近い瀧山寺を象徴する空間だと感じました。

水体薬師如来

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水を薬師如来とする御水信仰

瀧山寺奥にある水体薬師は、水を薬師如来としておまつりする信仰である。祠があり、その中には水が湧いている。水を薬師如来としてまつる寺院は岡崎市内に他にもあり、この周辺にみられる独特な信仰形態である。

感想■小さな小道を進んでいくと小さな祠があり、その祠の中には水体薬師如来として水が湧いていました。水そのものを薬師如来としてまつる形は珍しく、面白いと思うとともに、山の中にあるこの場所自体が神秘的で、心が穏やかになるようでした。

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学生レポート

立命館大学 4回生

お寺の歴史や祀られている仏像に関するお話などを丁寧に教えていただきました。ご本尊の薬師如来像は包み込むようなとても温かい雰囲気があり、そのお姿は息を呑むほどの感動をおぼえました。また、脇侍の十二神将像や日光・月光菩薩像も流れるような装束を纏われていて、彫刻の精密さに感動しました。宝物殿に祀られている運慶作のお像もとても美しくて感動しました。ぜひまたお伺いさせていただきます。

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学生レポート

立命館大学 3回生

このようなご縁をいただけて幸運でした。ご開帳の記録は残してはいけないと伺い、ご開帳がどれだけ寺院にとって特別なことなのか実感する事ができました。神社との関係を尋ねた質問にお答えいただいた時 、明治維新に触れられたことで、教科書とは別視点の歴史が、当時生きていた人はもういらっしゃらなくても世代を超えてそのときの心情も含めてリアルな記憶として残っていることが印象に残りました。鬼祭りのお話やご開帳に多くの人が参列していらっしゃる様子から、地域との親密さを感じました。

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学生レポート

立命館大学大学院 博士課程

荘厳な雰囲気の中で拝観させていただき、あまりの迫力に思わず言葉を失うほどの感動を覚えました。
また、ご住職さまのお話はユーモアを交えながらも、歴史の深みや文化の重みをしっかりと感じさせてくださり、とても印象に残りました。寺社の関係性や漆の現状など、普段なかなか伺うことのできないお話の数々に、大変学びの多いひとときとなりました。
お寺、神社、そして東照宮が隣接するこの地に立ち、あらためて日本における宗教と政治の歴史的交差点としての重みを実感いたしました。瀧山寺という場のもつ奥行きの深さに、心から敬意を抱いております。

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学生レポート

奈良大学文学部文化財学科3年

源氏・足利氏・徳川氏と鎌倉・室町・江戸の歴代将軍家と関わりがあるお寺が岡崎にあることに驚きました。
「鬼祭り」などの伝統行事も残り、ご住職だけでなく地域の方々も歴史を未来に繋ごうと尽力されている素敵なお寺でした。
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ご由緒

寺伝によれば、飛鳥時代に役小角が滝壺から拾い上げた薬師如来を安置したことに始まる。 平安時代後期の保安年間に比叡山の僧侶、仏泉永救によって再興。 源頼朝の母方の親戚である熱田大宮司家出身との縁から鎌倉時代に最盛期を迎え、運慶によって頼朝を供養する仏像が造られる。近隣に所領を持っていた足利氏とも関係を深める。 戦国時代には松平氏の発展とともに衰退。 江戸時代前期の正保元年(1644)、亮盛の時代に境内に東照宮が造営され、寛永寺の管轄下に入る。

info

参拝情報

名称
吉祥陀羅尼山瀧山寺・瀧山東照宮
(きっしょうだらにさんたきさんじ・たきさんとうしょうぐう)
所在地
愛知県岡崎市滝町山籠107
googleMAP
参拝時間
年中無休 9:00~17:00​(臨時休業あり)
参拝料金
■瀧山寺宝物殿:拝観料500円
■瀧山東照宮:拝観料200円
宗派
天台宗・神道
御本尊
薬師如来・東照大権現
宝物殿等
あり(瀧山寺宝物殿)
アクセス
■公共交通機関
名鉄名古屋本線「東岡崎駅」より、大沼方面行バス「瀧山寺下」下車
■お車
東名高速道路「岡崎I.C.」下車約20分。伊勢湾岸道「豊田東I.C.」下車約20分
駐車場
あり
境内MAP
Webサイト
http://takisanji.net/
備考
紹介映像「静岡・岡崎のお寺を巡る(普門寺:最初~、智満寺:3分55秒~、真福寺:6分30秒~、瀧山寺:10分06秒~)」
https://www.youtube.com/watch?v=WrmUnZ81wUo