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ご由緒
創建された詳細な時期は不明だという。元和元年(1615年)当地の有力者であった水嶋五郎右衛門の母・月盛妙圓禅尼の援助を受け舜尭阿闍梨により中興されたという。妙圓寺が中興された際、境内に岩屋霊穴が整備されたという。4代目の住職の頃まで整備が続いたという霊穴は長さ50mにもなり、宇賀神像を中心に様々な石仏がまつられている。毎年10月には、岩屋霊穴内にて秘仏の宇賀神像にお香入りの酒をかける秘法「浴酒法」がおこなわれ多くの参拝者が妙圓寺に集う。
400年前に整備された荘厳な霊穴に圧倒される
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みょうえんじ
神奈川県平塚市
妙圓寺は、今よりおよそ400年前の元和元年(1615)年に中興されて以来、境内が整備されてきたといいます。本堂には美しく親しみやすいお像の数々が、ひんやりとする霊穴の内部には宇賀神像や伝教大師、大日如来などの石仏の数々がおまつりされています。たくさんの魅力にあふれる境内に足を進めると、居心地の良いゆったりとした空間が広がっています。
妙圓寺の現在の本堂は、約270年前の延享2年(1745年)に再建された建物と伝わる。堂内中央には、金色に光り輝く阿弥陀如来坐像をおまつりしている。本尊である阿弥陀如来坐像について詳しい事は判明しておらず、妙圓寺が中興された時期に本尊とされたという。造立された時代ははっきりとせず、江戸時代に造立されたとも、それ以前に造立されたとも考えられている。なお、ご本尊をまつる須弥壇や前にある机は享保年間に制作されたものという。
ご本尊に向かって左の脇壇には、妙圓寺のもともとのご本尊であったという薬師如来立像と日光・月光菩薩、十二神将立像などがおまつりされる。薬師如来立像は行基による造立と伝え、裏手の山中にあった薬師堂におまつりされていた。平成22年までの数年間、薬師三尊像と十二神将立像の修復がおこなわれた。薬師三尊像の前には、他のお堂や個人より移ってきたという二天立像や地蔵菩薩立像がおまつりされている。右の脇壇には、不空羅索観音像と考えられている観音像や不動明王像、元三大師像など様々なお像がおまつりされている。
本堂の外陣では色鮮やかな吊るし雛と手毬が参拝者を出迎える。中でも手毬は山本タカさんが制作されたもので、一つとして同じ模様の手毬はないという。これらの色彩豊かな手毬や吊るし雛に彩られる空間を目当てに訪れる参拝者も多いという。
崖の上に立つ辯天堂は文化元年(1804年)12月、村内の宮大工・横山七郎左衛門により建立されたという。辯天堂は「一本くさび工法」という釘を使用しない工法により建立されているという。堂内中央には、江戸時代に江戸より移されてきたという八臂宇賀辯財天像がおまつりされる。また、正面右上におまつりされる辯財天像は妙圓寺を中興した舜尭法印の念持仏と伝わる。また、不動明王や観音菩薩立像もおまつりされている。
妙圓寺の境内にある岩屋霊穴は、妙圓寺が中興された約400年前より整備が始まったという。その後、4世広然法印の時代までに現在の姿になったという。霊穴内には宇賀神像を中心に伝教大師や天台大師、大日如来像など石仏群とともに比叡山にある不滅の法灯の分灯がまつられている。霊穴の上部に位置する辨天堂とともに土屋銭洗辯財天と称され信仰をあつめている。毎年10月には、秘仏の宇賀神像に御香を含む温めたお酒をそそぎ祈願する秘法「浴酒供」がおこなわれている。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科2年
ご由緒
創建された詳細な時期は不明だという。元和元年(1615年)当地の有力者であった水嶋五郎右衛門の母・月盛妙圓禅尼の援助を受け舜尭阿闍梨により中興されたという。妙圓寺が中興された際、境内に岩屋霊穴が整備されたという。4代目の住職の頃まで整備が続いたという霊穴は長さ50mにもなり、宇賀神像を中心に様々な石仏がまつられている。毎年10月には、岩屋霊穴内にて秘仏の宇賀神像にお香入りの酒をかける秘法「浴酒法」がおこなわれ多くの参拝者が妙圓寺に集う。
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