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鎌倉時代を代表する国宝建築 -善福院釈迦堂-

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ぜんぷくいん

善福院

和歌山県海南市

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善福院には鎌倉時代を象徴する国宝の名建築が伝えられています。その名も善福院釈迦堂。釈迦堂の扉を開け内部に歩みを進めると、当時主流であった密教的な天台宗の本堂とは異なる、開放的な空間が広がります。この独特な善福院釈迦堂の建立には、未だ多くの謎に包まれています。堂内を巡りながら、釈迦堂の謎に触れていきましょう。

巡りポイント

日本を代表する名建築、釈迦堂を伝える善福院。建築を詳細に見ていくと、時代の荒波をいくつも乗り越えてきたことが感じられるでしょう。 国宝建築が醸し出す重厚な空間を味わいながら、建物を未来へつなごうとした先人達の願いや祈りに思いを馳せてみませんか。

釈迦堂外観(国宝)

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大寺院であった廣福禅寺の遺風を今に伝える

境内にそびえ立つ釈迦堂は、かつて善福院の本寺であり建保2年(1214)に栄西禅師により開かれた廣福禅寺を構成する建物であるという。廣福禅寺を庇護していた加茂氏の没落や江戸から明治への移り変わりのなかで、廣福禅寺は荒廃してしてしまい、子院であった善福院が廣福禅寺を維持・管理するようになった。釈迦堂の屋根に葺かれている瓦には、「廣福禅寺」と記され、釈迦堂が廣福禅寺を構成する建物であったことを物語っている。

感想■釈迦堂の反り上がる瓦葺きの屋根からは、威風堂々とした重厚さを感じます。その姿は、かつて大きな境内と数々の建築を誇っていたという大寺院・廣福禅寺の姿を伝えているようでした。

釈迦堂内部(国宝)

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800年前の建築様式を今に伝える開放的な内部空間

多くの天台宗寺院の建物とは異なり、釈迦堂は「禅宗様(唐様)」と呼ばれる建築様式で建てられている。例えば、須弥壇が位置する釈迦堂中心部には柱がなく、その代わりに大きな前後方向の部材(大虹梁)とその上に組み合わさる円柱状の部材(大瓶束)によって支えられるとともに、中心部のみ天井板(鏡天井)があり、それ以外の場所は屋根を支える構造が露出していること(化粧屋根裏)が特徴的である。また、床には瓦が敷かれ、屋根を支える柱は禅宗様の礎盤上に建てられていることも禅宗様を色濃く残す建物と称される所以である。なお堂内中央にはご本尊・釈迦如来坐像がおまつりされ、像内に記された胎内銘に嘉暦2年(1327)と記されているため、釈迦堂の建立時代もご本尊と同じ頃と考えられている。

感想■釈迦堂の内部に入ると、開放的な内部空間が広がり驚きました。天台宗の寺院の建物というと、密教的な要素の影響で、暗く緊張感に富む内部空間が広がっている印象がありましたが、その印象とは対照的な空間に様々な教えから構成されている天台の教えの奥深さを感じました。

燧梁(ひうちばり、火打梁)

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地域をまたいで見られる独特な建築部材

禅宗様で建てられている釈迦堂には、珍しい建築部材が取り入れられている。燧梁と呼ばれるその部材は、釈迦堂内部の四隅の直角に交わる壁の近くにある45°状の短い斜め方向の部材(梁)である。この燧梁が残る宗教建築は善福院釈迦堂を含み、広島県福山市鞆の浦にある臨済宗寺院・安国寺釈迦堂、和歌山市にある真言宗寺院・松生院本堂の計3ヶ寺のみであると言われている。燧梁が宗派も異なる寺院の建築に共通して見られるかの詳細は未だ明らかではないが、一説には、和歌山県にゆかりがあり安国寺を創建した法燈派の祖である心地覚心(法燈円明国師)とその周辺の大工集団の影響とも推測されている。

感想■燧梁を用いた建築の分布から、800年ほど前の土地や人々のつながりが推定されることに興味が湧きました。善福院釈迦堂と心地覚心のつながりはまだまだわからないことが多いとのことで、両者の間にどのような関わりがあったのか、これからの研究に期待します。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科1年

和歌山県らしいミカン畑の中にたたずむ、重厚な善福院釈迦堂の立ち姿が強く印象に残っています。廣福禅寺と記された瓦や800年前の建築様式が色濃く残る釈迦堂を見ていると、時流の荒波に呑まれながらも、建立された当時の姿で伝えられてきたことのすごさを如実に感じるとともに、文化財を未来へ伝えようとした人々の息吹に触れた心地がしました。

history

ご由緒

建保2年(1214)に栄西禅師により開かれた廣福禅寺の子院(塔頭)として開かれたことに始まる。明治時代には廣福禅寺の子院は善福院のみとなり、釈迦堂を含む廣福禅寺の維持・管理は善福院が行うようになったため、善福院の名称で知られるようになった。境内に残る釈迦堂は、嘉暦2年(1327)頃の建築とされ、国宝に指定されている。

info

参拝情報

名称
宝遊山善福院
(ほうゆうざんぜんぷくいん)
所在地
和歌山県海南市下津町梅田271
googleMAP
参拝時間
事前予約
拝観料
要確認
宗派
天台宗
御本尊
釈迦如来
宝物殿
要確認
アクセス
公共交通機関
■JR加茂郷駅より徒歩30分
駐車場
有(無料)