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遠州灘の海上安全を願って

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ふもんじ

普門寺

静岡県掛川市

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古来より多くの船が行き交った遠州灘唯一の港・横須賀港。宝永4年に発生した地震で隆起・消失してしまった横須賀港の近隣、地震で海底が隆起する以前は海岸沿いだった場所に、海上安全の祈りを受け止め続けてきた古刹・普門寺が伽藍を構えています。704年に行基により開かれたと伝えられる普門寺には、最澄が彫ったと伝わる観音菩薩像がおまつりされています。このお像は、安全な海上交通を願った平清盛の長男・平重盛公が比叡山から移してきたと伝わっています。その他にも、大河ドラマで話題となった文覚が船の無事のお礼に彫ったと伝わる不動明王像もおまつりされ、海上安全を願う人々の願いが境内に広がっています。

巡りポイント

海上交通の難所である遠州灘の近くに伽藍を構える普門寺の境内には、古来より海に関わる人々からの祈りの空間が広がります。普門寺の境内の前に広がる海は交通の要衝であり、海を通る歴史上の偉人たちとの逸話も伝えられています。

観世音堂

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伝教大師が造立した聖観音をまつる

観世音堂の中央には、ご本尊である聖観音像がおまつりされている。かつて、平重盛が海上交通の安全と高倉天皇の健康を祈り、比叡山より伝教大師作の聖観音像を勧請したという。聖観音像をはじめ脇侍2体は秘仏とされ、観世音堂中央の宮殿の内部におまつりされる。煌びやかな宮殿の前には、お前立ちの千手観音立像が参拝者の祈りを受け止めている。

感想■比叡山より離れた地に伝教大師作の観音さまがおまつりされていることに驚きました。ご住職に伺うと、平安時代、平重盛公により比叡山より移されてきたとのことでした。教科書に記載されるような歴史上の人物が密接に関わる普門寺の歴史に圧倒されました。平安時代より遠州灘の海上交通を見守る観音像のお姿をいつかお参りしたいです。

弁天堂(掛川市指定文化財)

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平氏と源氏、それぞれにゆかりのある2体の弁天さま

池の中央に建つ弁天堂は、嘉永3年(1850年)諏訪立川流の立川(宮坂)昌敬による建物である。建物を構成する部材である蟇股には十二支の精緻な彫刻が彫られている。弁天堂のご本尊は、平重盛が厳島より勧請したという弁財天像である。秘仏であるため、通常厨子の扉はしまっている。本尊の前にはお前立ちである九頭竜弁財天像がおまつりされている。このお前立ち像は、江戸時代末期に戸隠山から移ってきたという。腹部に菱形の紋が描かれていることから、源氏の流れをくむ武田氏との関連が考えられている。平氏ゆかりの弁財天像と源氏ゆかりの弁財天像が並ぶ珍しい空間が堂内に広がる。

感想■平安時代末期、覇権を争った平氏と源氏にゆかりのあるそれぞれの弁財天像が同じ場所におまつりされていることが衝撃的でした。平氏と源氏の両方に守られて安心ですが喧嘩しないか少し心配です、とはにかむご住職のお話も心に残っています。普門寺が厳しい遠州灘を通るすべての人々に開かれていたお寺であったことを実感するお堂でした。

波切不動明王

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嵐を鎮めた文覚上人自刻の不動明王

かつて伊豆へ流されていた文覚上人が遠州灘を通過した折、嵐に遭遇してしまったそう。その際、船底の板に不動明王像を彫り祈願をすると、突如として嵐が収まったという。そのとき、陸地の方角をみると、普門寺の伽藍が見えたそう。その後、文覚上人は自分の身の無事を感謝するために普門寺を訪れ、船板に彫った不動明王像を普門寺にまつったという。その不動明王像は海上安全の信仰をあつめ、今日まで守り伝えられている。善光寺堂には板に彫られた不動明王像を立体化したお像がおまつりされる。

感想■文覚上人の逸話は、海に近い普門寺が海上交通の安全のために信仰のあつい場所であったことを如実に示すお話だと思います。浪切不動堂には、地元の漁師の方から「大漁満足」のために、大きな船のスクリューが奉納されていました。今もなお海に関わる人々を見守り続ける不動明王の姿に感動しました。

善光寺堂

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伝教大師が造立したと伝えられている善光寺仏をまつる

善光寺堂の中央には、善光寺におまつりされる一つの光背に阿弥陀如来立像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像がおさまる一光三尊阿弥陀仏(善光寺仏)がおまつりされる。伝承によれば伝教大師最澄が造立したという。堂内には、このお像を善光寺より運んできた時の様子を描いた絵馬が掲げられている。

感想■善光寺より仏像を運んできた様子を描いた絵馬を見ていると当時の人々の活気に満ちた声が聞こえてくるような心地がしました。和装の人もいれば、洋装の人もいたり、笑顔の人もいれば、旅路に疲れていそうな表情の人も描かれていたり、親しみを感じる絵馬でした。

西大谷三十三番観音霊場巡り

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約250年間受け継がれる宗派を超えた観音さまへの祈り

今から250年ほど前の江戸時代、地域の人々が町ごとに分担し施主となり、西国三十三ヵ所巡礼の各寺院から勧請を受け三十三のお堂を建立したという。霊場が創立されて以来、町内会や個人の資金により維持されてきているという。

感想■普門寺境内に広がる霊場は、創立されて以来天台宗に限らず様々な宗派に属する地域の人々の祈りを受け止めてきたと伺いました。たくさんの人々に扉を開く普門寺の姿をこちらでも実感しました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科1年

ご住職の「地域には『何かあったら普門寺へ』という考えを持っている人が多い」というお話が印象に残っています。普門寺の境内を巡っていると、他所から移動してきたお像や、地域全体に関する出来事を記録した石碑が多くありました。これは、普門寺が地域の中で重要な場所で、未来へお像や地域の出来事を受け継ぐためにふさわしい場所であると人々から親しまれていたことを示していると思います。境内に残る建物や仏像の1つ1つに逸話やエピソードが残ることからもすべての人々に扉が開かれていた普門寺の姿を垣間見えました。

history

ご由緒

飛鳥時代の慶雲元年(704)、文武天皇の勅願により行基が創建したという。平安時代末期の治承元年(1177)、高倉上皇の病気平癒と遠州灘の海上安全のために、平清盛の嫡男・平重盛により、比叡山から伝教大師作の聖観音像、厳島から弁財天像が安置され、諸堂が再建される。戦国時代には兵乱により焼失するが、大須賀城主大須賀康高により再建。江戸時代には寺領37石を賜る。

info

参拝情報

名称
千手山普門寺
(せんじゅさんふもんじ)
所在地
静岡県掛川市西大淵6429
googleMAP
参拝時間
午前8時から午後5時
拝観料
無料
宗派
天台宗
御本尊
聖観音菩薩
宝物殿
-
アクセス
■お車
・東名高速袋井ICより車で25分
・東名高速掛川ICより車で12分
駐車場
あり(観光バス6台分)
備考
紹介映像「静岡・岡崎のお寺を巡る(普門寺:最初~、智満寺:3分55秒~、真福寺:6分30秒~、瀧山寺:10分06秒~)」 
https://www.youtube.com/watch?v=WrmUnZ81wUo