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最澄と円仁の足跡が残る円仁生まれ故郷の古刹

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だいじじ

大慈寺

栃木県栃木市

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第3代天台座主となった慈覚大師円仁。その生まれ故郷が栃木県であることはあまり知られていません。出生地にほど近い大慈寺は、円仁が幼い頃修行をしていたお寺と伝えられ、境内には数々の逸話が残されています。関東を代表する大寺院であった大慈寺には、最澄が全国6箇所に建立を計画した六所宝塔の一つがあります。青空にそびえ立つ塔は、多くの僧侶がお寺に集い修行に励んだ平安時代の遺風を伝えます。

巡りポイント

関東を代表する大寺院であったという大慈寺。自然がきらめく境内を巡ると大寺院の遺風が今も残ります。円仁が修行をし、最澄が訪れたという秘められた大寺院の姿を体感していきましょう。

本堂

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珍しい印相の薬師如来坐像と今にも動きだしそうな十二神将立像

本堂中央におまつりされるご本尊・薬師如来坐像を中心に日光菩薩・月光菩薩、十二神将立像が並び立つ。薬師如来坐像の印相は通常の薬師如来像とは異なり、両手の上に薬壺をのせている。また、薬師如来像の背後を固める十二神将立像はダイナミックに体をひねり、見るものを圧倒する。十二神将立像は江戸時代後期、嘉永4年(1851)の造立とされる。また、大慈寺のご本尊薬師如来像には小野小町との伝承が残る。病にかかった晩年の小野小町は、大慈寺のご本尊に助けを求めたという。しかしながらお布施がないので、代わりに「南無薬師 衆病悉除の 願立てて 身より仏の 名こそおしけれ」と和歌を奉納したところ、ご本尊が「むら雨は 唯一通り 降るものを おのが身のかさ そこにぬぎおけ」と歌を返したと伝わる。本堂前には、慈覚大師が剃髪されるときに使用し、その水を各お堂にお供えしたという「御霊水の井戸」が残る。

感想■穏やかな薬師如来像の「静」の表情と躍動的な十二神将立像の「動」の表情が対照的で印象に残りました。特に十二神将立像は、眼光鋭く勇ましい姿であるとともに、像高が低く小ぶりな姿は愛らしくもありました。ぜひお気に入りのお像を探してみてください。

相輪橖(栃木県指定文化財)

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日本全国に建立された6つの宝塔の内の一つ、安北宝塔

本堂に向かって左手の丘の上には、伝教大師が構想した六所宝塔のうちの一つとなる相輪橖(そうりんとう)がそびえ立つ。伝教大師の生前に完成した宝塔はこの大慈寺の宝塔と群馬県・浄法寺にある宝塔だけだったという。大慈寺の宝塔は惜しくも焼失してしまい、現在の相輪橖は、江戸時代の享保10年(1725)に再建されたものという。中央には、日光山輪王寺門跡である公覚一品親王の揮毫で「南無妙法蓮華経」と書かれ、その上に伝教大師が残した言葉が刻まれている。

感想■大慈寺の宝塔は、伝教大師の教えに感銘を受けた人々によって積極的に建立されたと伺いました。比叡山より遠い大慈寺のある地まで伝教大師の教えが届いていたこと、当時伝教大師も東国巡錫の際に大慈寺を訪れていたことに驚きました。また、ご住職から伺った、息を止めて片足で相輪橖の周りを7周半まわることができれば馬の顔が見えるという伝説が愛らしく、昔より地域に親しみを持たれていた文化財なのだなと感じました。

慈覚大師堂(栃木市指定文化財)

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円仁自作と伝わる円仁坐像をまつる

堂内正面には、慈覚大師円仁が自ら彫ったと伝わる慈覚大師坐像がおまつりされる。慈覚大師坐像の両脇には不動明王立像と毘沙門天立像がおまつりされる。慈覚大師坐像の前には、近隣の佐野市の伝統工芸である天明鋳物の聖観音菩薩坐像をおまつりしている。この像は、栃木県指定文化財となっている。堂内天井には、狩野派の絵師による美しい花々や鳥の姿が描かれている。

感想■慈覚大師像の首元に傷跡が残っています。その傷は、火の手からお像を助け出すときについた傷だそうです。円仁さんのお像がいかに大切にされてきたかを痛感しました。また、天井に描かれている花々や鳥の精密さも圧巻でした。

奥の院(栃木市指定史跡)

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急峻な岩壁の上にある円仁修行の地

大慈寺の裏手にある黒石山の山頂付近には、慈覚大師が坐禅を組んでいたという伝承が残る岩場が残る。現在、その岩場には享保21年(1736)に建立された宝篋印塔(開山塔)が建っている。

感想■青空の下、険しい岩場の上に石塔がそびえ立つ風景は神秘的なものでした。岩場から眺める風景は格別で1200年ほど前、慈覚大師もこの景色を見ていたかと思うと感慨深い気持ちになりました。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科1年

境内を巡ると、今から1200年ほど前の人物である円仁さんのエピソードがたくさん伝えられていることに驚きました。円仁さんのお話を話す地域のみなさんが、まるで実際に円仁さんとお会いしたかのように親しみと尊敬の気持ちを込めて熱く教えてくださる姿が印象的でした。大慈寺に1000年以上の時を超え伝承や文化財が多く残されているのは、こうした地域のみなさんの大慈寺への愛着心が強くあるからだと感じました。

history

ご由緒

寺伝によれば奈良時代の天平9年(737)行基によって開山され、鑑真の弟子である道忠、道忠の弟子広智と継承された。弘仁6年(815)、伝教大師最澄の東国巡錫の際、道忠は法華経書写に協力し、大慈寺に六所宝塔の一つ、安北宝塔が建立される。広智上人は大慈寺で修行をしていた慈覚大師円仁の才能を見出し、円仁を比叡山の伝教大師最澄のもとへ連れて行くと、自らも弟子となり密教の奥義を授かる。下野国を代表する大寺院となり大いに栄えたが、戦国時代、北条氏と地元領主との戦乱に巻き込まれ伽藍が全焼してしまう。江戸時代に再建されるも幕末に再び火災に遭い、平成29年(2017)に本堂が再建される。

info

参拝情報

名称
小野寺山大慈寺
(おのでらさんだいじじ)
所在地
栃木県栃木市岩舟町小野寺2247
googleMAP
参拝時間
要確認
拝観料
要確認
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
要確認
アクセス
JR岩舟駅から車で15分
東北自動車道 佐野藤岡I.Cから車で25分
駐車場
境内MAP
Webサイト
https://www.cc9.ne.jp/~daijiji/index.html