「歴史を繋いだ想いを未来へつなげる」日本文化の魅力交流ポータル

  • Instgram
  • facebook

慈恵大師良源が創建し、垂坂の里を見守り続ける古刹

いいね 0

かんのんじ

観音寺

三重県四日市市

  • 行きたい
  • 行った
古来より伊勢神宮へ納めるお酒を製造するための麹の産地であった三重県四日市市の垂坂(たるさか)の地。この歴史ある垂坂の地に、比叡山中興の祖とされる慈恵大師とゆかりの深い天台宗の古刹・観音寺が約1100年の歴史を繋いでいます。観音寺は、垂坂の地を見守り続ける「垂坂山のお大師さん」と呼ばれ、宗派を超えて篤い信仰を集めています。

巡りポイント

観音寺の御本尊様は慈恵大師良源様。この地域では宗派を問わず、良源様への信仰が篤く「垂坂のお大師さん」「元三さん」と地域の人々が集う場所になっているそう。今も変わらず良源様は地域の人々に愛されながらこの地をお守りされています。

本堂

  • 本堂
    本堂《昭和45年建立》
  • 本堂
  • 本堂
  • 本堂
  • いいね

慈恵大師と当地の領主・舟木良見の繋がりを今に伝える

観音寺は延長6年(928)に慈恵大師によって創建された寺院である。慈恵大師は当時高僧として名をはせていた理仙阿闍梨の元で修行を行い僧侶としての道を突き進んでいたが、理仙阿闍梨が急逝しその道が途絶えてしまう。

 

才能ある慈恵大師をこのままにしておくのは惜しいと考えた人々がこの地の有力者であった舟木良見に相談し、慈恵大師に対する支援を行うこととなった。このことから慈恵大師はこの地に観音寺を創建し、名前の「良」の字は舟木良見からとられていると伝えられている。

 

平安時代末頃から鎌倉時代にかけ一時東大寺の末寺となるが、南北朝時代から室町時代にかけて再び天台宗寺院となり現在に至る。毎年1月の寒の入りから23日の節分までの期間で行われる「寒行」では観音寺に伝えられている慈恵大師以来の修法を行いながら地域をまわり慈恵大師のお札を授ける。

 

現在の本堂は、昭和45年に国宝防災の一環として建立された建物。

感想■お大師さまとして有名な慈恵大師良源様の「良」という名の由縁がこの場所を治めていた舟木良見さんで、この方がいらっしゃらなければ僧侶の道が途絶えてしまっていたと考えると、慈恵大師の人生のターニングポイントの寺院であると感じ驚きました。 また、本堂内部に掲げられている人の背丈を越えるほどの大きな提灯や額を見て、時代を越えて人々の祈りを受け止め続ける慈恵大師の偉大さを強く感じました。

御本尊・木造慈恵大師坐像(国指定重要文化財)

  • 御本尊・木造慈恵大師坐像(国指定重要文化財)
  • いいね

垂坂の地を見守り続ける『垂坂のお大師さん』

観音寺の御本尊様は慈恵大師良源坐像。通常は厨子の内部に秘仏としておまつりされ、法要等で御開扉される。

 

御本尊様には墨書銘が残されており、慈恵大師により創建された寺院であるが慈恵大師の像がおまつりされていなかったことを嘆いた沙門永賢が願主となり広く勧進して観応2年(1351)に仏師法橋乗賢によって造立されたことが判明する。

 

古来、慈恵大師は観音菩薩様の生まれ変わりという信仰が隆盛し、観音菩薩様が33の姿に変化するという信仰に伴い、慈恵大師像を33体、66体と造立した作例が今日に伝えられているが、そうした中で本像は観音寺の御本尊様として1体のみ造立されたという点が明らかであるとして、当地の慈恵大師信仰の篤さを伝える貴重な仏様であると考えられている。

感想■大きく見開いた眼や力強く結んだ口の表現等より慈恵大師の偉大さがあらわれるような人物表現が行われており、時空を超えて実際に慈恵大師と相対しているような、悪いことをすれば今にでも動き叱ってくれるように感じさせる力強く迫力あるお姿でした。

木造地蔵菩薩坐像(三重県指定文化財)

  • 木造地蔵菩薩坐像(三重県指定文化財)
  • 木造地蔵菩薩坐像(三重県指定文化財)
  • 木造地蔵菩薩坐像(三重県指定文化財)
  • いいね

鎌倉時代の精悍なお地蔵さま

地蔵菩薩像は、像内の墨書銘によると、東大寺南大門二王像や興福寺北円堂諸尊を造立した運慶の3代目で当時の慶派を率いた法橋康円により正応3年(1290)に造立されたことが分かる仏様である。大きな顔の表情は精悍で、全体の量感も十分あらわされている像であるが、衣の抑揚は整えられ落ち着いた印象もうける。

 

康円という仏師は東大寺多聞天像(内山永久寺旧蔵)の修理をはじめとして永久寺関連での造仏に関与している。この像も永久寺と関係する造像環境下で造られた可能性も推測される。

感想■大きなお地蔵さまで、実際の大きさ以上の存在感に圧倒されました。精悍な顔つきや流れるような自然な衣の表現からは、そこに実際にお地蔵さまがおられると感じました。康円という慶派の一流の仏師の作であり、中世に隆盛した観音寺の悠久の歴史の息吹を体感しました。

木造薬師如来立像(三重県指定文化財)

  • 木造薬師如来立像(三重県指定文化財)
  • 木造薬師如来立像(三重県指定文化財)
  • 木造薬師如来立像(三重県指定文化財)
  • いいね

平安時代に造られた穏やかな等身大のお薬師さま

像高148.5cmとほぼ等身大の薬師如来立像である。衣文の表現が薄く体部に張り付くように表現され、柔らかく穏やかな印象を受ける。

 

現在は本堂内でおまつりされているが、薬師堂の本尊であったという可能性や近隣立阪神社(たつさかじんじゃ)の御祭神の本地仏としておまつりされていた可能性も指摘されている。

感想■丸顔で優しそうな表情をしたお薬師さまで、なで肩・均等な間隔で彫られた衣文等平安時代の雅やかな様子を強く感じることのできる仏さまでした。等身大近い像で、このような本尊格の仏さまがおられることに観音寺の栄華が感じられました。

木造誕生釈迦仏像(三重県指定文化財)

  • 木造誕生釈迦仏像(三重県指定文化財)
  • 木造誕生釈迦仏像(三重県指定文化財)
  • 木造誕生釈迦仏像(三重県指定文化財)
  • いいね

珍しい木製の誕生釈迦仏

木で造られた誕生釈迦如来仏像である。誕生釈迦仏は灌仏会において甘茶をかける対象として製作されることが造られることが多く、木彫で造られる点や像高43cmと灌仏会に用いられる誕生釈迦像としては大きい点も珍しく独尊として信仰されていたと考えられている。

感想■金銅製の誕生釈迦仏像が多い中、木製の像で驚きました。よくある金銅仏と違いこの像は大きく、柔らそうな体つきや衣の表現からは、お釈迦さまの生まれた姿を実際にみることのできるようだと思いました。

木造不動明王立像

  • 木造不動明王立像
  • 木造不動明王立像
  • 木造不動明王立像
  • いいね

焼討ちの被害に遭いながらも守り伝えられる不動明王

観音寺本堂内に安置される不動明王立像である。像高128.8cmとほぼ等身大の大きさの像である。像表面には朽損や虫損がみられる。鎌倉時代の造立と考えられている。

 

戦国時代、観音寺は滝川一益による焼討ちの被害を受け堂塔伽藍は全焼してしまったが、仏様は、地域の人々により地中に埋められ焼失を免れたと伝えられている。

感想■口を強く結び、両眼を大きく見開く不動明王様は、像の表面に欠けや虫食いとみられる痕、左手先等の亡失部もあり、痛々しいお姿に心を痛めましたが、焼き討ちの被害を受けながら土の中に逃れ守られたというお話をお聞きし、この像をどうにかしてでも守り伝えたいと思った当時の人々の強い思いがこの不動明王様に宿っているように感じ、心が震えました。

印度仏 釈迦牟尼尊坐像

  • 印度仏 釈迦牟尼尊坐像
  • いいね

幼くして亡くなった方の菩提を弔う

本堂におまつりされている印度仏は、今から約2000年前にインドで造立されたと伝えられている釈迦如来様。

 

桑名藩藩主の御子息が若くして亡くなった際に、その供養として観音寺へ寄進されたという来歴が伝えられている。

感想■造立されたインドから遠く離れた日本で大切にまつられている仏様とお会いして、私たちが想像しているよりもずっと国を越えた交流が盛んに行われていたのだと気付かされました。 あどけなさを感じさせるお顔は、若くして亡くなった藩主の御子息のお顔を想像させ、御子息の菩提を弔う方々の気持ちが伝わってくるようでした。

【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像

  • 【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像
  • 【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像
    木造弁財天坐像
  • 【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像
    木造弁財天坐像
  • 【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像
    頭上の宇賀神像
  • 【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像
    木造大黒天立像
  • 【非公開】秘仏・木造弁財天坐像・大黒天立像・宇賀神像
    木造宇賀神像
  • いいね

穏やかな微笑みを浮かべる仏様と神様

1つの厨子の内部にまつられている弁財天様と大黒天様、宇賀神様は、江戸時代に造立されたと考えられているお像。

 

中心にまつられる弁財天様は、8つの手に宝珠や法輪、武器、鍵などを持ち、頭上に乗せる鳥居の奥に宇賀神を乗せる。

 

向かって右にまつられる大黒天様は、右手に小槌、左手に大きな袋を持ち、穏やかな眼差しを向けている。

 

向かって左にまつられる宇賀神は、翁の頭部に蛇身の姿をされた福神・農業神である。観音寺のように1つの厨子内に、2体の宇賀神像がまつられていることは珍しい。

感想■特別にお厨子の扉を開けていただくと、微笑みを浮かべる3体の仏様・神様の姿がありました。仄暗い灯りのもと、それぞれのお像が持つ陰翳の美しさが感じられ、しばらく相対していたいと惹きつけられました。

木造毘沙門天立像

  • 木造毘沙門天立像
  • 木造毘沙門天立像
  • 木造毘沙門天立像
  • いいね

勇ましくも親しみやすさも感じさせる毘沙門さま

本堂脇壇に安置される毘沙門天立像である。鎌倉時代の造立と考えられているお像で、木造ならではの量感表現で、ずんぐりとした体型が特徴的なお像である。勇ましさは抑えられており、親しみやすさが感じられる。

感想■口をへの字に曲げ、正面をみつめる毘沙門天さま。鎧兜を着け、戟をもつ武装した姿でありながら、ずんぐりとした体形や表情からはあどけない少年のようにも感じられ、親しみやすさがある像だと思いました。

木造不動明王立像

  • 木造不動明王立像
  • 木造不動明王立像
  • 木造不動明王立像
  • いいね

きりりとした印象の中に穏やかさが感じられるお不動さま

本堂脇壇におまつりされている不動明王様は、造立時代などの詳細は不明であるが、勇ましい立ち姿が特徴的な仏様。

 

右手に剣を持ち、左手は地面へと垂下し、左右の牙を出す。背後には火焔光背が配置されている。

感想■観音寺のお不動さまは、勇ましさだけでなく、親しみやすさも感じるお不動さまでした。 観音寺のお不動さまが発する雰囲気は、厳しくもあり優しくもある先生のように感じ、その両面供えた雰囲気に惹かれました。

山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音

  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    山門(四日市市指定文化財)
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    山門(四日市市指定文化財)
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    鐘楼
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    梵鐘
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    地蔵堂
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    聖天堂
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    聖天堂
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    観音堂
  • 山門(四日市市指定文化財)・鐘楼・地蔵堂・聖天堂・観音堂・三十三観音
    三十三観音
  • いいね

観音寺の多様な信仰を伝える諸堂

観音寺の境内の入口に建つ山門は、元禄4年(1691)に観音寺が再興された際に建立されたと考えられている建物。蟇股には法輪の彫刻が表されるなど、丁寧な仕上げが特徴的な建物。山門の近くには、地蔵堂や鐘楼が建つ。

 

本堂の向かって左側には、聖天堂と観音堂が建つ。観音堂には十一面千手観音菩薩様や阿弥陀如来様、伝教大師がまつられている。

 

本堂の背後には、石仏の三十三観音がまつられている。

感想■観音寺の境内を巡ると、様々な仏様がおまつりされていることに気づき、観音寺が様々な信仰の拠り所であると感じました。丁寧に大切にまつられている観音寺の仏様をお参りし、様々な仏様や神様を大切に守り伝えてきた先人たちの姿が感じられました。

report

学生レポート

立命館大学 4年

ご住職様のお話の中で観音寺に関して、元三大師を信仰するお寺として建てられていたが、その後、一時的に東大寺の末寺となったということを知り、私はこのお寺が地域の人々に宗教を超えて、支え続けていたのではないかと感じました。

また、本堂におまつりされている慈恵大師に関して独鈷杵を握りながら御祈祷している姿を見て、このお姿を作られた当時の時代の人々も現在の私たちと同じように平和な日々を願っていたことを強く感じました。

さらに、仏像に関して織田信長の時代に焼き討ちがされたとのことですが、その際にお像を土に埋めて守ったというお話についても、他の勢力からの脅威にも何とか抵抗しようという強い思いを感じました。

history

ご由緒

寺伝によると、伊勢を行脚していた慈恵大師が、朝明郡の領主・舟木良見の帰依をうけ、延長6年(928)に垂坂山に創建したと伝えられている。その際、慈恵大師自ら刻んだ千手観音像を本尊として安置したという。

 

中世には、伊勢国有数の天台寺院として隆盛し、最盛期の境内の規模は2 km四方ともいわれており、多くの子院や末寺により構成されていたという。 しかしながら、天正3年(1575)、織田信長の配下の武将である滝川一益による焼討ちにより全山全焼。その際、まつられていた仏様は、地域の人々により地中に埋められて難を逃れたと伝えられている。

 

その後、野村増右衛門が桑名藩主松平定重公に観音寺の再興を願い出て、藩主の命により元禄4年(1691)に復興された。現在の本堂は昭和45年国宝防災の一環として建立された建物。

info

参拝情報

名称
垂坂山 観音寺
(たるさかさん かんのんじ)
所在地
三重県四日市市垂坂町1266
googleMAP
参拝時間
堂内参拝は事前にご連絡をお願い致します。
拝観料
志納
宗派
天台宗
御本尊
慈恵大師
宝物殿
アクセス
■公共交通機関
「近鉄四日市駅」下車後、路線バス「垂坂・東芝四日市行き」乗車
「垂坂」停留所下車後、徒歩8分

■車
東名阪自動車道「四日市東IC」から5分
駐車場
あり 30台(大型バスも駐車可能)
Webサイト
https://www.kannonji.me/