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武士からの崇敬を集めた珍しいお姿の延命観音様をおまつりする

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かんのんじ

觀音寺

茨城県筑西市

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茨城県の北西部、筑西市の中館地域に創建1400年以上と伝える古刹・觀音寺が伽藍を構えています。中館地域は奈良時代から平安時代にかけて築かれた3つの要塞(上館・中館・下館)のうちの一つを起源とするとされている歴史のある地域です。そのような中館地域の歴史とともにある觀音寺には、全国的にも珍しく美しい姿の延命観音さまを中心に様々な仏さまがおまつりされています。
  • 観音堂
  • お前立・延命観音菩薩立像
  • 阿弥陀如来坐像

巡りポイント

觀音寺のご本尊は6つの腕を持つ延命観音様。それぞれの手が持つ持物や結ぶ印が愛染明王とほとんど一致する珍しいお姿をされています。美しさと力強さを感じさせるご本尊様の姿は、中世に築かれた伊佐城跡に伽藍を構える觀音寺と武士たちとの関係を伝えています。

秘仏御本尊・延命観音菩薩立像(国指定重要文化財)

  • 秘仏御本尊・延命観音菩薩立像(国指定重要文化財)
    お前立・延命観音菩薩立像
  • 秘仏御本尊・延命観音菩薩立像(国指定重要文化財)
    お前立・延命観音菩薩立像
  • 秘仏御本尊・延命観音菩薩立像(国指定重要文化財)
    お前立・延命観音菩薩立像
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武士たちからの祈りを受け止めた力強い観音様

觀音寺の秘仏御本尊である延命観音菩薩様は、鎌倉時代に造立された仏様で、カヤ材・古色・彫眼の木造寄木造の観音様。胎内には1363年に修理が行われた旨の墨書などあることから、国の重要文化財に指定されている。

 

6つの腕を持つことが特徴で、その持物はほとんど愛染明王様の持ち物と一致しているという。書物によると延命観音様の力を念じると、呪いや毒薬で危害を加えられようとしてもその危害は加害者自身に帰ると説かれている。これらのことから、觀音寺を崇敬する武士たちが武運長久の願いを受け止める力強いお姿の観音様を求め造立されたのではないかと推測されている。

 

御本尊様は秘仏であるため通常はお厨子の内部におまつりされ、同じお姿をされているお前立の観音様を拝むことができるが、1年に一度、奇数の年は4月10日の観音護摩講において、偶数の年は11月23日の法華三昧会において御開扉される。

感想■書籍で御本尊様の姿を拝見して以来、なぜ珍しいお姿をされているのか興味を抱いておりました。ご住職より、生きるか死ぬかの乱世を生きた武将たちの祈りを叶え、災いを払いのけるためにこのような珍しいお姿の観音様が造立されたのではないかとお聞きし、御本尊様のお姿を通して一所懸命に生きた先人たちの息づかいを肌で感じたような心地を抱きました。

木造不動明王立像・木造毘沙門天立像

  • 木造不動明王立像・木造毘沙門天立像
    木造不動明王李立像
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    木造不動明王李立像
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    木造不動明王立像
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    木造毘沙門天立像
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    足元の邪鬼
  • 木造不動明王立像・木造毘沙門天立像
    【非公開】毘沙門天立像の胎内に納入されていた法華経
  • 木造不動明王立像・木造毘沙門天立像
    【非公開】毘沙門天立像の胎内に納入されていた法華経
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御本尊の左右に立ち、御本尊を護る勇ましい仏様

御本尊・延命観音菩薩様の脇侍として不動明王様と毘沙門天様がおまつりされている。

 

向かって右側におまつりされている不動明王様は、南北朝時代に造立された仏様で目には玉眼が入る凛々しいお姿の仏様。胎内には江戸時代の1754年に修理された旨が記されている。

 

向かって左側におまつりされている毘沙門天様は、鎌倉時代に造立された仏様。両足で邪鬼を踏みつける勇ましいお姿が特徴的。毘沙門天様、邪鬼ともに寄木造で造立されており、毘沙門天様の胎内には1536年の修理銘が残されているほか法華経などの納入品が納められ、江戸時代の1676年に修理された記録が伝えられている。

感想■不動明王様と毘沙門天様のお姿はともに勇ましく凛々しく、そのお姿は、中世から近世にかけて觀音寺へ祈りを捧げた武士たちの姿を表しているようでした。また、毘沙門天様の胎内には法華経をはじめとする納入品が納められていたとお聞きし、当時の人々の信仰の篤さを実感いたしました。

木造金剛力士立像

  • 木造金剛力士立像
    仁王像(阿形像)
  • 木造金剛力士立像
    仁王像(吽形像)
  • 木造金剛力士立像
    仁王像(阿形像)
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    仁王像(吽形像)
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觀音寺を護る眼光鋭い仁王さま

仁王像はもともと仁王門におまつりされていましたが、仁王門が損傷したために観音堂の外陣に移されておまつりされている。寄木造、目には玉眼を入れているお像で、頭部の内側にある墨書から、1677年に仏師・原田左京が造立し、觀音寺に奉納されたことが判明している。

感想■眼光鋭く、筋肉を盛り上げ立つ仁王様の姿に見惚れました。見る角度によってもお顔の印象や立ち姿の印象が変わり、勇ましさの中にも優しい印象が垣間見えるような印象を受けました。

木造大黒天立像

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修復され鮮やかな姿に蘇った大黒様

須弥壇上におまつりされている大黒天様は室町時代に造立された仏様であると伝えられている。近年の修復により、極彩色の鮮やかなお姿に蘇った。

感想■口角を上げる大黒天様の表情は、鮮やかな姿に蘇りどこか喜んでおられるように感じられました。大黒天様の穏やかで優しい雰囲気が印象的でした。

千体佛

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小さく親しみやすい観音様がずらりと並ぶ

観音堂の堂内の長押の上にびっしりと並ぶ千体佛は、江戸時代の終わり頃、当時の觀音寺の住職が願いを込めて造立した観音様であるという。現在900体ほど伝えられ、一番大きな観音様には墨書が残り、觀音寺について記載のある古い版木を刷ってみると、千体佛が文化・文政頃に造立されたという記載があったという。

感想■小さな仏様がびっしりと長押の上に並び立つ姿は圧巻でした。当時のご住職がとのような願いを込めてこの仏様たちを造立したのか、想像の翼を広げながら、想いを馳せました。

観音堂(筑西市指定文化財)

  • 観音堂(筑西市指定文化財)
  • 観音堂(筑西市指定文化財)
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  • 観音堂(筑西市指定文化財)
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江戸時代の名工が手掛けたとされる迫力ある大堂

観音堂は、1645年と1651年の大火の後、1652年に仁王門とともに再建された建物と伝えられている。さらに江戸時代中期頃に改築された可能性が指摘されており、その際に施されたと考えられる龍や獅子、花々、二十四孝を題材にした豪壮な彫刻が特徴の建物である。この改修には、成田山新勝寺の伽藍や大前神社社殿、雨引山楽法寺の伽藍など関東を中心に活躍した嶋村円哲という名工が携わったと伝えられている。

感想■観音堂の屋根を支える部材に龍の彫刻が並ぶ光景は圧巻でした。おそらく火災除けのためにこれほどまでに龍の彫刻を施したのではないかと伺い、二度と火災を発生させないという当時の人々の強い願いを強く感じました。どの彫刻も細部まで丁寧に彫られ、生き生きとしており、いつまでも眺めていることのできる名建築だと思いました。

本堂

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現代の名工が手掛けた觀音寺の新本堂

觀音寺の本堂は、2014年に落慶された建物。阿弥陀如来様を中心とする檀家の皆様の回向を行う道場として建立された。

 

本堂建立にあたり、後世に伝えられる建物を目指し、職人の方々とどのような建物にするのか密接に話し合いをしながら設計・建立したという。これまで本堂として親しまれてきた観音堂の姿を圧迫しないように、観音堂よりも落ち着いた様式で部材を組んでいるとのこと。さらに、堂内を荘厳する金具や屋根の瓦など丁寧に細部まで工夫が施されているという。

感想■觀音寺の歴史をふまえ、次世代へ伝えられていく建物を目指して建立された本堂。堂内に入ると、仏様がおわす世界としての『厳かさ』とご先祖様たちの思い出が満ちる場所としての『あたたかさ』が共存しているように思いました。時間が許す限り本堂内で時を過ごしたいと思える空間が広がっていました。

木造阿弥陀如来坐像(筑西市指定文化財)

  • 木造阿弥陀如来坐像(筑西市指定文化財)
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檀家の皆さんの祈りを受け止める阿弥陀さま

本堂中央におまつりされている阿弥陀如来様は、木造寄木造、台座から光背の頂端までおよそ3メートル、像高1.4メートルにもなる大きな仏様。造立時代は江戸時代とも鎌倉時代とも考えられており、近年の調査により、お身体が鎌倉時代に造立されたのではないかと推測されている。

 

背後の光背には、大日如来や釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩、薬師如来の5体の仏様が配置されている。筑西市の文化財に指定されている。

感想■大きな阿弥陀如来様の前に座ると、どんな悩みや願いも受け止め、私たちを包み込んでくれるような安心感を感じました。阿弥陀如来様が見守る中で、檀家の皆様が先祖の方々との記憶や思い出にゆっくりと浸れる場所に本堂をしたいというご住職の強い想いも素敵でした。

輪蔵

  • 輪蔵
  • 輪蔵
    輪蔵内部
  • 輪蔵
    周囲の十二天像(帝釈天)
  • 輪蔵
    周囲の十二天像
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回すことで大量の経典を読んだことと同じ功徳が得られる回転式書架

本堂内部、後方には内部に大蔵経を納める輪蔵が設けられている。輪蔵は実際に回すことができる回転式書架で、回すことで内部に納められている経典を全て読んだことと同じ功徳が得られるという。

 

觀音寺の輪蔵は、明治時代に当時の住職が建立したもの。今回の本堂建立にあたり、檀信徒の方々が気軽に回せるように修復を行った。輪蔵の周囲には、十二天の姿が描かれた仏画が飾られている。

感想■輪蔵は想像以上に滑らかに動き、驚きました。『スムーズに動くようにする修復が難しかったが、職人さんたちの技術力で蘇った』と伺い、ご寺院を建築という視点で支えている宮大工の皆さんの技術力に圧倒されました。

伊佐城阯(茨城県指定史跡)

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中世に築かれた城の痕跡が残る

中館地域は奈良時代から平安時代にかけて築かれた3つの要塞(上館・中館・下館)のうちの一つを起源とすると伝えられている歴史のある地域。平将門の乱では、藤原秀郷公などの武将が上館・中館・下館に陣を構えたと伝えられている。嘉承2年(1110)、藤原実宗公が常陸介(国司の次官)に任ぜられ、伊佐荘中村(現在の中館地域)に館を構えて以降、藤原実宗公の一族は代々伊佐荘に居住したことから伊佐氏と称するようになった。伊佐城は、後に奥州征伐の功績から伊達郡(現在の福島県)などを与えられ伊達氏の祖となった伊佐氏により、古代に築かれた中館を改修して築かれたと伝えられている。

 

南北朝時代、伊佐城に伊達行朝公が籠城したが奮戦むなしく落城。行朝公は五年後に没せられたと伝えられている。その後、伊佐城は廃城となったと考えられている。

 

觀音寺の境内は伊佐城の二の丸跡と推測され、観音堂から本堂まで続く参道の両脇には伊佐城由来とされる盛り土が残されている。

感想■觀音寺の境内には古代から中世にかけての武士の生き様が秘められているように感じました。南北朝時代に廃城となったと考えられていますが盛り土などの痕跡が残されており、一所懸命乱世を生き抜いた武士たちの姿を思い起こさせました。

伊達行朝公供養塔(筑西市指定史跡)

  • 伊達行朝公供養塔(筑西市指定史跡)
    伊達行朝公供養塔
  • 伊達行朝公供養塔(筑西市指定史跡)
    伊達行朝公供養塔
  • 伊達行朝公供養塔(筑西市指定史跡)
    法華三昧会の際に写経した法華経を入れ、伊達行朝公供養塔へ運ぶ御神輿
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伊達家との繋がりを伝える

観音堂の右側後方には、南北朝時代に当地を治めた伊達行朝公の供養塔が建てられている。

 

伊達行朝公は、本堂や仁王門、経蔵、鐘楼、五層塔を新しく造営するとともに比叡山より実相坊心海というお坊さんを招き、觀音寺を中興したという。

 

しかしながら、南北朝の動乱において、伊佐城は落城し、行朝公は落命されてしまった。後に行朝公の跡を継いだ伊達宗遠公は、觀音寺で行朝公の十七回忌追福のための法華三昧会を行うように命じ、営まれたという。

 

それ以来行朝公の追福のための法華三昧会は觀音寺に絶えることなく伝えられ毎年修されており、その際写経した法華経を御輿に乗せて行朝公の供養塔の内部に納めるという。

 

伊達行朝公をはじめ伊達氏とゆかりの深い觀音寺には、伊達氏から寄進された宝物が伝えられている(寺宝は非公開)。

感想■1000年近く伊達氏との関係が続いているということに驚きました。法華三昧を通して先人たちに対して祈りを捧げる姿が素敵だと感じました。

大門・下館藩主石川総管公墓所(筑西市指定史跡)

  • 大門・下館藩主石川総管公墓所(筑西市指定史跡)
    大門
  • 大門・下館藩主石川総管公墓所(筑西市指定史跡)
    下館藩主石川総管公墓所(筑西市指定史跡)
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    下館藩主石川総管公墓所(筑西市指定史跡)
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城下町として栄えた下館の歴史を伝える

観音堂と本堂を結ぶ参道にある大門は、かつて下館城(しもだてじょう)にあった大手門であったと推測されている。

 

大門を通り右手に広がる広場には、下館藩第9代藩主を務めた石川総管(いしかわふさかね)公の墓所がある。石川総管公は天保12年(1841)8月9日に江戸で生まれ、嘉永2年(1849)12月18日に第9代藩主に就任。慶応年間には、若年寄や陸軍副総裁など幕府の要職を歴任した。戊辰戦争では新政府に協力し、後に下館藩知事を務めた。書道や歌、馬術に優れた文武両道、情にあつい人柄であったと伝えられている。

感想■大門はお城の大手門として相応しい勇壮な姿をしていて、大門を通るときには自然と背筋が伸びるような緊張感を感じました。1000年以上の由緒がある『下館』の歴史を体感することができました。

法輪獨守居士の祈りによる湧水

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開創の逸話を伝える清らかな湧水

觀音寺を開いた法輪獨守居士(ほうりんどくしゅこじ)は、当時の中国(梁)より日本へ渡ってこられた方とされ、中館の地に観音菩薩様をおまつりしたと伝えられている。当時の中館では疫病が大いに流行していたため、法輪獨守居士が観音菩薩様に祈願をしたところ、台地の上にある中館地域の崖下より清らかな湧き水が出て、地域の疫病を鎮まったという。

 

現在の觀音寺の境内には、そのときに湧出したという湧き水が伝えられており、現在も水が湧き出ている。

感想■法輪獨守居士の祈りにより湧き水が湧出したのは、今から約1450年前のこと。天災や疫病を越えて今もなお清らかな水が湧き出ていることに感銘を受けました。

report

学生レポート

立命館大学 博士課程

今回の訪問では、ご本尊である6臂の延命観音さまの珍しいお姿と2014年に落慶した本堂の力強くも美しい姿が心に深く残っています。

ご本尊の延命観音さまについて、ご住職より愛染明王の姿に似ており、武将との縁が深い觀音寺だからこそ、生きるか死ぬかの乱世を生きた武将たちの祈りを叶え、災いを払いのけるためにこのような珍しい観音さまが造立されたのではないかとお聞きしました。御本尊様のお姿に当時の人々の息づかいが込められているように感じ、心が震えました。

また、現在の職人の方々が力を尽くして建立した本堂の建物は、細部まで手を抜かず丹精込めて建立されたことがご住職のお話から感じられ、これから数十年・数百年後には日本を代表する建物になるのではないかと感じました。

history

ご由緒

585年~587年にかけて、中国(梁)より渡来した法輪獨守居士(ほうりんどくしゅこじ)が観音菩薩をまつったことに始まるという。このとき、清らかな湧き水が出て、流行した疫病を鎮めたという。法輪獨守居士は観音像とともに都に赴き、左大臣であった阿部倉梯(あべのくらはし)公の姫君の熱病を直し、孝徳天皇より『延命』の嘉称を賜ったとされる。

 

中世には、後に伊達家となる伊佐氏により篤く信仰され、大いに隆盛したという。江戸時代以降においても、伊佐氏の流れを汲む伊達家により庇護され、伊達家との関係を示す多くの寺宝を伝えている。ご本尊は延命観音様。愛染明王様の持ち物や印相を結ぶ六臂の珍しいお姿をされた鎌倉時代に造立された仏様で、国の重要文化財に指定されている。

info

参拝情報

名称
施無畏山 延命院 觀音寺
(せむいざん えんめいいん かんのんじ)
所在地
茨城県筑西市中舘522-1
googleMAP
参拝時間
堂内でのご参拝は事前にご連絡をお願い致します。
拝観料
宗派
天台宗
御本尊
延命観音菩薩
宝物殿
なし
アクセス
■公共交通機関
真岡鐵道『折本駅』下車後、徒歩約15分(1.1 km)

■車
北関東自動車道『桜川筑西IC』から約20分(11.6 km)
駐車場
あり
Webサイト
http://nakadate-kannon.jp/