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平安時代に生きた女性たちの「慈悲の心」をつなぐ大仏さま

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こうぜんじ

興善寺

大阪府泉南郡岬町

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大阪府の最南端に位置し、豊かな自然に彩られる岬町。多くの方々が観光やレジャーで訪れる岬町に、創建1100年以上の歴史を紡ぐ古刹・興善寺が伽藍を構えています。「岬大仏」と呼ばれ女性を中心に古来より信仰を集めてきた御本尊・胎蔵界大日如来様を中心に、境内には様々な仏様がおまつりされ、悠久の信仰の歴史を伝えています。

巡りポイント

江戸時代の元禄年間に再建された堂々たる本堂の内部には、見上げんばかりの大きさを誇る大きな仏様が3体並んでおまつりされています。その中心におわす御本尊・胎蔵界大日如来様は、「慈悲の心」を表す仏様として、多くの女性たちからの信仰を集める仏様です。御本尊様の胎内に残る墨書には「わが子・わが子の未来が安寧でありますように」との一文が残り、先の世に生きた女性たちの願いが伝えられています。

御本尊・木造胎蔵界大日如来坐像(国指定重要文化財)

  • 御本尊・木造胎蔵界大日如来坐像(国指定重要文化財)
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    台座に残る平安時代の金箔
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女性たちの願いに満ちる穏やかな大日如来様

興善寺の御本尊は、本堂の中央におまつりされている木造胎蔵界大日如来様。お像の高さが約2.9メートルにもなる巨大な仏様で、平安時代の保安元年(1120)に造立された。手のひらを上へ向け、左手の上に右手を乗せ、両手の親指の先を軽くつけて輪をつくる「法界定印」という印相を結ぶ。

 

お像や台座に施された漆や金箔の多くは、平安時代の造立当初から残るものと考えられており、2023年から2025年にかけて修復が実施された。

 

御本尊様の胎内には、約300人の方々が結縁して造立されたことを記す墨書が残されている。その墨書に記されている方々の多くが女性であることが特徴で、墨書の最後には「わが子・わが子の未来が安寧でありますように」という一文が記されている。

 

御本尊様の穏やかなお姿には、法華経の「一切の衆生が成仏することができる」というおしえと、密教の「即身成仏」という考え方による顕密一致の天台宗の教えから「この身で全ての衆生が仏になることができますように」という願いや、胎蔵界の仏様が表すという「慈悲の心」が込められていると考えられている。

感想■御本尊様の胎内に残るという「わが子・わが子の未来が安寧でありますように」という一文が強く印象に残っています。御本尊様を介して未来に生きる人々のことを想う平安時代に生きた先人たちと実際に対面しているかのような感覚を覚え、私たちが先人たちの歩みの延長線上に生きていること、私たちも先人たちから渡されたバトンを未来へ繋いでいきたいと思いました。

木造釈迦如来坐像(国指定重要文化財)

  • 木造釈迦如来坐像(国指定重要文化財)
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往時の興善寺の大伽藍を伝えるお釈迦様

釈迦如来様は、本堂内中央におまつりされている御本尊様に向かって左側におまつりされている。像高138.9 cmの大きな釈迦如来様が、平安時代の造立当初のものと考えられている台座に座る。

 

左手は膝上に乗せて、指を伸ばし手のひらを上へ向ける「与願印」を結び、右手は、胸の高さで指を伸ばし手のひらをこちらに向ける「施無畏印」を結ぶ。与願印は願いを聞き叶えることを表し、施無畏印は恐れを払拭することを表しているという。

 

平安時代の寛治7年(1093)に経範を中心とした仏師たちによって多くの結縁者とともに造立されたことが像内に記されている墨書から判明している。

 

台座には、光背を付けるための「ほぞ」の穴が残されていることに加え、別のお堂の本尊としておまつりされていたと伝えられていることから、大いに隆盛したと伝えられている往時の興善寺を構成していた建物の大きさを伝えている。

感想■様々な大きな仏様が、それぞれのお堂の御本尊としておまつりされていたという往時の興善寺の姿を想像し、圧倒されました。約1000年の歴史を越えて、仏様たちを私たちが拝むことのできることの凄さを実感しました。

木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)

  • 木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
  • 木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)
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端正な眼差しで、興善寺の歴史を見守るお薬師様

薬師如来様は、本堂内中央におまつりされている御本尊様に向かって右側におまつりされている。像高139.2 cmの大きな薬師如来様が、平安時代の造立当初のものと考えられている台座に座る。平安時代に造立されたと考えられている仏様で、衣の表現の様子などから御本尊様が造立された時期である12世紀前半頃に造立されたとも推測されている。

 

釈迦如来様と同様の印相(左手:与願印、右手:施無畏印)を結ぶ。造立当初は、左手に薬壷を持っていたと推測されている。

 

釈迦如来様と同様に、台座には、光背を付けるための「ほぞ」の穴が残されていることに加え、別のお堂の本尊としておまつりされていたと伝えられている。

感想■現在の興善寺では、釈迦如来様を過去の仏、薬師如来様を現在の仏、大日如来様を未来の仏としておまつりしていると伺いました。過去・現在・未来を表す仏様をそれぞれの建物の本尊としておまつりしていたという往時の興善寺は、境内全体で過去・現在・未来の祈りの空間を表していたのかなと想像の翼を広げました。

本堂(大阪府指定文化財)

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    本堂で使用されていた江戸時代の「谷川瓦」
  • 本堂(大阪府指定文化財)
    本堂で使用されていた江戸時代の「谷川瓦」
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谷川瓦の技術力が輝く堂々たる大堂

興善寺の本堂は、江戸時代の元禄年間初頭頃(1690頃)に再建されたと考えられている建物。正面の桁行は5間、奥行きの梁間は4間、二重の屋根を設ける建物で、2023年から2025年の屋根葺き替え修復工事の後に境内の鐘楼・山門・不動堂とともに大阪府の文化財に指定された。

 

興善寺が伽藍を構える岬町多奈川は、古来より高品質の瓦の一大製作地として知られており、当地で製作された瓦は「谷川瓦」と呼ばれ、近世から近代にかけて和歌山城や粉河寺大門、旧和歌山県議会議事堂、皇居(明治宮殿)などで用いられていたほか、関西地方を中心に四国地方や中国地方などの住宅建築にも多く用いられているという。

 

2023年から2025年の屋根葺き替え修復工事の際、本堂の瓦の多くが元禄年間に製作されたもので、その約7割が今後も問題無く使用できる耐久性があったという。そのため、耐久性を満たした約7割の瓦は、現在も本堂の屋根を守っている。

 

また、瓦を取りはずしたところ本堂再建当時の瓦下地が完璧に残っていた。江戸時代の瓦下地がそのまま伝えられていることは全国的に貴重であるため、古い瓦下地を取り除くのではなく上に板を被せてその上に瓦を葺くという手法が採用された。

感想■数百年の年月を経ても耐久性に問題がない谷川瓦の技術力の高さに驚きました。修復工事を経て往時の堂々たる姿が蘇った本堂は、地域の歴史・文化を象徴する建物であるように感じました。

石灯篭

  • 石灯篭
    1336年に造立された石灯篭
  • 石灯篭
    1336年に造立された石灯篭
  • 石灯篭
    1336年に造立された石灯篭に刻まれた銘文
  • 石灯篭
    1336年の灯篭の姿を、天保10年(1839)に復元した石灯篭
  • 石灯篭
    1336年の灯篭の姿を、天保10年(1839)に復元した石灯篭に刻まれた銘文
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中世の興善寺の姿を伝える

本堂へ向かう参道脇に建つ灯篭は、1336年に造立されたとの銘文が残る灯篭。多くの戦乱や天災による影響で破損している部分も多くあるが、今もなお立ち続けて興善寺の歴史を伝えている。

 

本堂前には、天保10年(1839)に造立された灯篭が1基あり、この灯篭は1336年に造立された灯篭の姿を復元したものである。

感想■中世から興善寺の歴史を見守り続ける灯篭の立ち姿に心が揺さぶられました。また、新しい姿の灯篭を新しく建立するのではなく、古の灯篭の姿を復元して建立した江戸時代の人々の心意気も素敵だなと思いました。

【内部非公開】不動堂(大阪府指定文化財)

  • 【内部非公開】不動堂(大阪府指定文化財)
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    【非公開】木造不動明王立像
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    【非公開】木造千手観音菩薩立像
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    【非公開】木造千手観音菩薩立像
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堂々としたお不動様の前に、護摩の炎が昇る

本堂へ続く参道沿いに建つ不動堂は、江戸時代の正徳元年(1711)に建立された建物であると考えられている。正面の桁行と奥行きの梁間はともに3間の建物である。

 

堂内中央に、2 mを越える像高と推定される不動明王様をおまつりする。造立された時代など詳細は不明であるが、中世までには造立されていたであろうと推測されている。不動明王様に向かって右側には、中世に造立されたと考えられている千手観音様をおまつりしている。

 

通常堂内は非公開であるが、不動明王様の縁日である毎月28日14時30分(8月は除く)より、不動堂にて護摩供が修法される。護摩供はどなたでも参列できる。

感想■見上げんばかりの大きな不動明王様の迫力に圧倒されました。毎月28日(8月以外)には護摩供をされていると伺い、いつか随喜させていただき、護摩の炎に照らされる不動明王様と向き合いたいと思いました。

山門(大阪府指定文化財)

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    【非公開】山門をお守りしていた木造四天王立像
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全国からのご支援により修復が完了した山門

興善寺の入口に建つ山門は、江戸時代の元文2年(1737)の建立と考えられている建物。本瓦葺の入母屋造の屋根を持つ。

 

山門内部の四方には、かつて人の背丈以上の大きさを誇る四天王様をおまつりしていたが、ある時興善寺から離れてしまった。四天王様のうち2体は、流転の果てに京都市の三条にある檀王法林寺の門にておまつりされている。

 

当初の四天王様が興善寺を離れた後は、当初の四天王様よりも小ぶりな四天王様をおまつりしていた。しかしながら、平成30年に発生した度重なる台風の猛威により、山門の一層目部分や四天王様に大きな被害が生じた。

 

当時、山門は文化財に指定されていない建物であったため、行政による支援は難しく、復興に着手できない状態が続いていたという。そのような中で、クラウドファンディングに挑戦し、日本全国からたくさんのご支援をいただき、令和6年から令和7年にかけて修理が実施され、往時の堂々たる姿が蘇り、令和7年には、本堂をはじめとする諸堂とともに大阪府の文化財に指定された。

感想■今回、往時の姿に蘇った山門を訪ね、その堂々たる姿から復興に携わった方々の熱い想いと願いを強く感じました。現在、四天王様の修復も目指されていると伺い、私自身も次世代への継承に尽力されている興善寺の皆様に対して何かできないかなと思っています。

鐘楼(大阪府指定文化財)

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本堂のすぐ後に復興された鐘楼で慰霊の鐘の音が響く

本堂の西側に建つ鐘楼は、元禄10年(1697)に建立された建物であると考えられている建物。現在、鐘楼に吊るされている梵鐘は、かつて阪南市に伽藍を構えていた興善寺の末寺・泉福寺に所在していた梵鐘で、江戸時代の正徳5年(1715)に鋳造された梵鐘である。泉福寺が廃寺となった際に、興善寺へもたらされたと伝えられている。

 

梵鐘のそれぞれの面には、銘文に加えて、牡丹や唐獅子の姿、四天王の姿が表されている。

 

この鐘楼では、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で亡くなった方々や戦争で亡くなった方々の慰霊のために、毎年1月17日と8月15日に鐘が撞かれる。

感想■時代時代の様々な方々の祈りや想いにあふれる鐘であると思いました。興善寺の鐘の音が響く毎年1月17日と8月15日。興善寺の鐘の音を胸に、これからの平和・平穏を一緒に願いたいと思いました。

【内部非公開】鬼子母神堂・常行回向堂・聖徳太子堂

  • 【内部非公開】鬼子母神堂・常行回向堂・聖徳太子堂
    蓮池
  • 【内部非公開】鬼子母神堂・常行回向堂・聖徳太子堂
    鬼子母神堂と蓮池
  • 【内部非公開】鬼子母神堂・常行回向堂・聖徳太子堂
    鬼子母神堂
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    聖徳太子堂
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    常行回向堂
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興善寺の信仰を伝える様々な仏様をまつる

山門の近くに位置する蓮池の小島には、鬼子母神様をおまつりする鬼子母神堂が建つ。おまつりされている鬼子母神は、当初は人の子供をさらって食べてしまう鬼であったが、ある時お釈迦様に自分自身の子供を隠されて子供を失う悲しみを実感し改心し、子授け・安産・育児の神様として信仰を集める神様である。鬼子母神堂を囲む蓮池は、戦国時代の戦の際に僧侶たちが御本尊様をはじめ仏様を沈めて守ったと伝えられている池である。

 

蓮池の脇を通る参道を進むと、不動堂の近くに建つ聖徳太子堂と常行回向堂にたどり着く。聖徳太子堂には、角髪(みずら)を結い立ったお姿の聖徳太子様がおまつりされているという。常行回向堂は檀信徒の方々の祈りの場であるとともに、写経体験なども行われている。

感想■実際の蓮池を見ていると、先程お参りした仏様が戦火に遭い、蓮池に沈められたことで守られたという先人たちの息づかいを実感することができ、文化財を守り次世代へ伝えることの困難さを改めて感じました。

report

学生レポート

龍谷大学 4年

本堂のご本尊様の台座は、1000年以上前から受け継がれてきたとお聞きしました。元亀天正の兵火、台風による甚大な被害がありましたが、人々の信仰心によって守り伝えられてきた1000年以上にわたる歴史を体感できました。困難なこともありましたが、守り続いていることは人々の想いが詰まっているからこそだと思います。

1000年以上前のことは想像するのは難しく教科書だけの勉強で終わるものだと思っていました。 しかし、興善寺には目、耳、鼻で歴史を感じ、生きたものとして捉えられる魅力がありました。遠いことだったと思っていた歴史も、巡る中で心に響いた『こと、もの』を見つける努力が口伝を繋ぐことなのだと実感できるお寺でした。
1000年以上が紡ぐ歴史を感じる興善寺の魅力に圧倒される訪問となりました。

history

ご由緒

仁寿2年(852)、第55代・文徳天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝えられている。

 

寺伝によると、当地には楠の大木が枝を広げ、その幹下の空洞にて、里人から「楠入道」と呼ばれる一人の行者が修行に励んでいたという。地域の困りごとや病に苦しむ里人を祈祷により解決し癒していたという楠入道の逸話は遠く離れた文徳天皇のもとにも伝わり、楠入道は参内し文徳天皇の困りごとを祈祷により解決したと伝えられている。

 

文徳天皇は、そのお礼として金帛(きんぱく、価値のある貴重な贈り物のこと)を楠入道に下賜されるとのことだったが、楠入道は辞退し、その代わりに「私が住む地にお堂を建てて大日如来をお祀りすることが永年の願いであり、叶えて欲しい。」と言い残し、忽然と姿を消してしまったという。

 

この言葉を受けた文徳天皇は、慈覚大師に楠入道が暮らしていた地に大日如来をお祀りする寺院を創建することを命じ、興善寺が創建されたと伝えられている。

 

創建当時は七堂伽藍を誇る大寺院であったと伝えられているが、幾度の戦乱や天災の影響を被り、戦国時代には兵火を逃れるために、御本尊・大日如来様をはじめとする仏様は蓮池に沈められて難を逃れたと伝えられている。

 

明暦元年(1655)、紀州粉河寺より専海大僧都が興善寺へ移り再興が進められ、元禄年間の初め頃(1690頃)に現在の伽藍が整えられた。

info

参拝情報

名称
鳳樹山 興善寺
(ほうじゅざん こうぜんじ)
所在地
大阪府泉南郡岬町多奈川谷川1460
googleMAP
参拝時間
本堂内のご拝観や団体でのご参拝の方は事前にご連絡をお願いいたします。
ご祈祷や坐禅会、写経会などのお問い合わせもお気軽にどうぞ。
参拝料金
ご連絡の際にご確認ください。
宗派
天台宗
御本尊
胎蔵界大日如来
宝物殿等
アクセス
■公共交通機関
南海本線「みさき公園駅」下車後、コミュニティバス「ピアッツァ5」行きバス乗車。「極楽橋」バス停下車。バス停より徒歩約10分。

■車
阪和自動車道「泉南IC」より約30分(18.5 km)。
駐車場
あり
Webサイト
https://houjuzan-kouzenji.jp/
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