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ご由緒
仁寿2年(852)、第55代・文徳天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝えられている。
寺伝によると、当地には楠の大木が枝を広げ、その幹下の空洞にて、里人から「楠入道」と呼ばれる一人の行者が修行に励んでいたという。地域の困りごとや病に苦しむ里人を祈祷により解決し癒していたという楠入道の逸話は遠く離れた文徳天皇のもとにも伝わり、楠入道は参内し文徳天皇の困りごとを祈祷により解決したと伝えられている。
文徳天皇は、そのお礼として金帛(きんぱく、価値のある貴重な贈り物のこと)を楠入道に下賜されるとのことだったが、楠入道は辞退し、その代わりに「私が住む地にお堂を建てて大日如来をお祀りすることが永年の願いであり、叶えて欲しい。」と言い残し、忽然と姿を消してしまったという。
この言葉を受けた文徳天皇は、慈覚大師に楠入道が暮らしていた地に大日如来をお祀りする寺院を創建することを命じ、興善寺が創建されたと伝えられている。
創建当時は七堂伽藍を誇る大寺院であったと伝えられているが、幾度の戦乱や天災の影響を被り、戦国時代には兵火を逃れるために、御本尊・大日如来様をはじめとする仏様は蓮池に沈められて難を逃れたと伝えられている。
明暦元年(1655)、紀州粉河寺より専海大僧都が興善寺へ移り再興が進められ、元禄年間の初め頃(1690頃)に現在の伽藍が整えられた。
