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ご由緒
養老3年(719)に開かれた蓬莱山金仙寺を起源にもち、天正15年(1587)に善正寺という寺号になったという。それ以来多くの信仰を集め、境内の入り口には240年ほど前に造立された石造の仁王像がにらみをきかせている。現在の本堂は昭和55年に建立された延暦寺根本中堂様式の建物である。大正7年(1918)から弘法大師をおまつりする今山大師を兼務することでも知られている。
蓬莱伝説が伝わる延岡を代表するお寺
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ぜんしょうじ
宮崎県延岡市
徐福伝説の残る善正寺は、養老3年(719)に開かれた歴史の深い寺院です。善正寺は檀信徒皆さまの心のよすがとされ、一方地域の皆さまから愛される寺院でした。本堂やご本尊さま等をご参拝され、それらに込められた延岡の皆さまの想いや温かさに触れていただきたいです。
昭和五十五年の境内伽藍大改修建立の本堂である。比叡山根本中堂と同じ天台様式に基づいた建築構造をしている。そのため、内陣は外陣より下がった構造をしており、参拝者がご本尊と目線が合うようになっている。中央におまつりされるご本尊は阿弥陀如来坐像である。その両脇には脇仏として釈迦如来像と薬師如来像をおまつりしている。また、善正寺では毎年5月5日に延岡空襲で犠牲となった延岡の人々とB29に搭乗していたアメリカの搭乗員の慰霊を行っている。この慰霊は、延岡空襲の際に犠牲となったアメリカの搭乗員の御遺体を善正寺で埋葬されたためであり、後に御遺体を引き取りにいらっしゃったご遺族とは今も交流が続いているという。お厨子の前には、『B29』と記された卒塔婆と搭乗員の方の遺影がおまつりされている。
今山大師は、天台宗でありながら弘法大師空海をおまつりしている。天保10年(1839)、疫病の蔓延する延岡の村の1つ・東海村に住む満石幸蔵は、弘法大師像を皆で拝むことで疫病を克服できるのではないかと考えた。息子の治助を連れての四国八十八か所巡礼後、高野山を詣でた幸蔵は高野山で弘法大師坐像をいただいて延岡へと戻り、村の有志と共に今山の一角に小さな庵をたてておまつりしたという。すると流行していた疫病はたちまち終息した。そのため、「疫病封じのお大師さま」として大いに信仰を得て、村の人々によって維持管理されていたという。大正7年まで村の管理でいたが、たくさんの方々がお参りに訪れる事から、宮崎県知事から指導があり管理者を置くことが求められた。そのとき村人の勧めによって善正寺が以後今山大師の管理することとなった。山上にある弘法大師像は日本最大とされ、毎年4月に開催される九州三大春祭りの1つ延岡今山大師祭「お大師さん」は、たくさんの人々が参拝される。
学生レポート
奈良大学文学部文化財学科3年
ご由緒
養老3年(719)に開かれた蓬莱山金仙寺を起源にもち、天正15年(1587)に善正寺という寺号になったという。それ以来多くの信仰を集め、境内の入り口には240年ほど前に造立された石造の仁王像がにらみをきかせている。現在の本堂は昭和55年に建立された延暦寺根本中堂様式の建物である。大正7年(1918)から弘法大師をおまつりする今山大師を兼務することでも知られている。
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