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最澄と行動を共にしたお薬師さんと圧巻の仏像群

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よこくらじ

横蔵寺

岐阜県揖斐郡揖斐川町

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最澄の逸話が多く残る岐阜県。滋賀県にほど近い地に伽藍を構える横蔵寺に、最澄の留学の時道邃より賜ったと伝えられるお像がおまつりされています。最澄とゆかりの深い横蔵寺は、古来より霊験あらたかなお寺として有名となり、古くは鎌倉時代の説話にも登場します。そのような横蔵寺には、平安時代から室町時代にわたり造立されたたくさんの仏像が伝えられています。仏像だけでなく、即身仏がおまつりされていることでも有名なお寺です。

巡りポイント

「美濃の正倉院」と称されている横蔵寺には、平安時代以降に造立された数多くの仏さまがおまつりされ、国の重要文化財に指定されています。また、横蔵寺のかつてのご本尊・薬師如来立像は、伝教大師が造立し比叡山にお祀りした薬師如来像と同じ木から造立されたお像でした。織田信長による比叡山焼討ち後には、伝教大師と特にゆかりの深い仏さまとして横蔵寺からご本尊・薬師如来立像が比叡山へと移され、現在も根本中堂においてまつられています。さらに、舎利堂には舎利仏(即身仏)がまつられていることでも知られています。

本堂・三重塔・仁王門(岐阜県指定文化財)

  • 本堂・三重塔・仁王門(岐阜県指定文化財)
    本堂
  • 本堂・三重塔・仁王門(岐阜県指定文化財)
    本堂
  • 本堂・三重塔・仁王門(岐阜県指定文化財)
    本堂
  • 本堂・三重塔・仁王門(岐阜県指定文化財)
    本堂
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    三重塔
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    三重塔
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    仁王門
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    仁王門
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    仁王門
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江戸時代前期に造られた堂塔伽藍

本堂は方五間、檜皮葺、入母屋造の本堂で江戸時代の寛文11年(1671)に完成した。精緻な組物や蟇股等の彫刻が施されている。三重塔は寛文3年(1663)に建立された檜皮葺の建物で、和様の方三間で建てられている。仁王門は、江戸時代初期の延宝3年(1675)に建立された檜皮葺の建物で、和様で三間二間の間取りで建てられている。二層目には梵鐘がかけられており、鐘楼を兼ねている。仁王像の前にスペースが設けられている事から、仁王像の前で仁王会が行われていたと考えられている。

感想■本堂は山の中腹に位置していて、大きく感じるお堂でした。緑に包まれる中にどっしりと本堂、三重塔がそびえる空間からは安心感を感じました。すべて檜皮葺の建物で、周囲の豊かな自然と調和している姿が印象的で、境内の様子は山岳信仰と結びつきの強い天台宗の祈りを表しているようでした。

ご本尊・薬師如来坐像(国指定重要文化財)

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60年に一度御開帳されるご本尊さまとかつての横蔵寺のご本尊を偲ぶ

現在の横蔵寺のご本尊は、京都の深泥池から遷座された鎌倉時代初期に造られた薬師如来坐像(国指定重要文化財)であり、60年に一度のご開帳と定められているお像である。現在のご本尊が横蔵寺に移る以前のご本尊は、現在の比叡山延暦寺の根本中堂に安置される薬師如来像である。かつて、伝教大師は後の根本中堂となる一乗止観院に自刻の薬師如来像をおまつりした。その際、同木からもう1体薬師如来像を造立し共に巡錫をしたという。延暦22年(803)、伝教大師が当地を訪れた際、この薬師如来像が動かなくなったことから、薬師如来をまつるお寺を創建した。そのお寺が横蔵寺であるという。時は流れ、比叡山が織田信長によって焼討ちされその復興の際、伝教大師が刻んだという由緒を持つ横蔵寺の薬師如来像が根本中堂の本尊として迎えられた。

感想■根本中堂におまつりされている薬師如来立像が、かつては横蔵寺のご本尊であったと伺い、歴史の繋がりに圧倒されるだけでなく、伝教大師が仏さまに込めた願いに想いを馳せる時間を過ごすことができました。

金銅薬師如来像

  • 金銅薬師如来像
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伝教大師とともに時を過ごしたお薬師さま

正面の小さな赤い厨子に、奈良時代の作とされる金銅薬師如来像がお祀りされている。唐に渡った最澄が天台僧で国清寺の道邃から授かった像であるとされている。その像を最澄は天皇にお見せしたのちに、勅命により横蔵寺の胎内に納めていたものであったとの伝承が残る。通常は厨子の扉が閉められている。

感想■横蔵寺に伝教大師最澄が中国からもたらしたとされる薬師如来像がもたらされ、現在にも伝わっていることに驚きました。最澄の横蔵寺に対する想いの篤さを感じることができました。

板彫法華曼荼羅(国指定重要文化財)

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精緻に彫られた平安時代の板彫曼荼羅

『法華経』の宝塔品を浮き彫りで表現したもので、縦18cm、横16cm厚さ1.5cmと小さいものである。全面を4等分し、中央の宝塔に釈迦多宝二仏並坐、脇仏として文殊普賢の二菩薩、四隅に四天王像等24体の像を表す。また裏面の上方には線刻で飛天を表し、下方には罫線を引き中央に多角形の塔婆を表す。伝教大師入唐将来と伝わる。このような法華経を板彫曼荼羅で現存するものは少ない。平安時代後期の作で、国指定重要文化財である。

感想■小さな板に、24もの仏さまが細かく丁寧に彫られていることに驚きました。小さな板であるこの板彫法華曼荼羅が、きれいな姿で残っており、今まで多くの人々によって大切に守られてきたのだと感じました。

木造深沙大将立像(国指定重要文化財)

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平安時代の数少ない深沙大将像

深沙大将立像は、三蔵法師玄奘が天竺に向かう際にその危機を救ったとされる仏教の守護神であり、『西遊記』の沙悟浄のモデルと言われている。また古くは深沙神と書かれ、泰山府君の化身とも、毘沙門天の化身とも云われる。クスノキ材の一木造の像で、深沙大将像の貴重な平安時代の作例として重要文化財に指定されている。

感想■上半身裸で腕に蛇をまくなど異形の姿で、玄奘三蔵のお供であったということを聞き思い面白い像であるのだと感じました。このような像があり、信仰されてきている横蔵寺の信仰の多様さを感じることができました。

木造大日如来坐像(国指定重要文化財)

  • 木造大日如来坐像(国指定重要文化財)
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「筑前講師」によって造られた平安時代の大日如来坐像

平安時代末期の寿永2年(1183)に「筑前講師」という仏師によって、平重親を壇越として造像されたことがわかる智拳印を結ぶ金剛界大日如来坐像である。筑前講師という人物は、運慶や康慶といった奈良仏師の一人であるとされる。造像された年代がわかることに加え、筑前講師という僧綱位になる前の仏師による作例としてわかる像としても貴重である。

感想■凛々しい顔立ちの大日如来坐像でした。大きくはないお像なのですが、髪の毛の筋までも丁寧に彫り表現が行われており、繊細かつ端正な大日如来さまであると感じました。

木造四天王立像(国指定重要文化財)

  • 木造四天王立像(国指定重要文化財)
    増長天立像
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    広目天立像
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    多聞天立像
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    持国天立像
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実際の大きさ以上に迫力を感じさせる

須弥山の四方を守護する四天王。東を持国天、南を増長天、西を広目天、北を多聞天がそれぞれ守護する。横蔵寺には南北朝時代に造立された四天王立像が伝えられ、国の重要文化財に指定されている。

感想■眉間にしわを寄せ、勇ましい姿をする四天王像の迫力に圧倒されました。色鮮やかな彩色や荒々しくうねるような衣の表現に惹きつけられました。

木造十二神将像(国指定重要文化財)

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本尊薬師如来を守護する十二神将

平安時代から鎌倉時代にかけて造られたと考えられる十二神将像である。彩色も比較的よくの残っている像である。

感想■筋骨隆々とした像ではない柔らかさの感じられる体部表現に加え、動きも大きく表現せず落ち着いた穏やかな表現をしているところからは、厳つさよりも優しさを感じることのできる十二神将像であると感じました。

木造仁王像(国指定重要文化財)

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肥後定慶晩年の仁王像

仁王像は、坪坂大仏師法眼和尚位定慶によって建長8年(1256)に造像されたことが分かる仁王像である。定慶は作風の類似から兵庫石龕寺仁王像や大報恩寺六観音像、鞍馬寺聖観音像の造像に関わった肥後別当定慶と考えられる。その中で横蔵寺仁王像は、定慶の遺品の中で最晩年の作品である。

感想■重量感のあるどっしりとした仁王像で、変な誇張のない自然な動きが表現される力強いお像であると感じました。3m近いお像で、仁王門に安置されていた時には多くの人々を上から見張っていたことを思うと、この力強さの前では変なことはできなかったのかなと思いました。

舎利仏(即身仏)

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即身仏はミイラのことで、生きたまま仏となったため舎利仏と呼ばれる。

ここにお祀りされる妙心上人は、天明元年(1781)に横蔵に生まれた。両親が亡くなったのちに、仏道修行のため巡礼の旅に出て、西国、坂東、秩父の三十三ヶ所、四国八十八ヶ所を巡り、やがて信濃の善光寺の万善堂(大勧進)で受戒。その後、富士山に登る「富士講」の先達を務めた。文化12年(1815年)に山梨県の御正体山の洞窟で断食し、入定。その後、村人によってまつられていたが、明治の初めに山梨県庁へと移され、明治天皇の山梨県行幸の際に天覧に供された。その後、明治22年に上人の出生地である横蔵寺にまつられることになった。

実際にその姿をお参りする事が出来る日本最西端・最南端の即身仏として全国より参拝者が訪れる。

感想■舎利仏のお姿は念仏を唱えているような姿で、自然と黙って拝みたくなる凄みがありました。現在にも生きているような姿であることは、妙心上人の信仰深さによる奇跡であるだと思いました。

history

ご由緒

寺伝によれば、延暦22年(803)年に桓武天皇の勅願により、最澄と在地の有力者三輪次郎藤原助基によって創建。 平安時代から室町時代にかけて境内の整備や仏像の造立がなされ、そのうち22点の仏像や寺宝が国の重要文化財に指定されている。 かつての御本尊は伝教大師最澄が延暦寺根本中堂の本尊として造立した薬師如来と同じ木から造立された薬師如来像で、織田信長の比叡山焼討ち後に比叡山へと移され、根本中堂の御本尊となっている。

info

参拝情報

名称
両界山横蔵寺
(りょうかいざんよこくらじ)
所在地
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160
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参拝時間
■瑠璃殿(宝物殿)は冬期(12~3月)休館
舎利堂は無休
10時00分~16時00分
拝観料
■瑠璃殿(宝物殿)・舎利堂
大人500円、小中学生200円、幼児100円
宗派
天台宗
御本尊
薬師如来
宝物殿
瑠璃殿(宝物殿)
アクセス
東海環状自動車道大野神戸ICより約40分
近鉄揖斐駅下車同駅よりコミュニティーバス利用可
駐車場
あり