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人々の暮らしとともに歴史を紡ぐ標高900メートルにある「山の寺」

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りんしょうじ

隣政寺

長野県下伊那郡高森町

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長野県下伊那郡高森町。天⻯川によって造られる河岸段丘やアルプスの⼭並みに囲まれ、豊かな農村風景を見せるこの地域に、ひっそりと伽藍を構える「山の寺」・隣政寺があります。標高約900メートルにある境内には、本堂と不動堂(蚕玉堂)が静かに佇み、養蚕が盛んな下伊那地域の人々の営みとともに紡がれてきた祈りの歴史を伝えています。

巡りポイント

標高約900メートルに伽藍を構える隣政寺は、厳しい冬の間に地域の人々から蚕の卵を預かり、蚕の卵を守るという重要な役割を担っていました。境内に建つ不動堂には、養蚕の守り神である蚕玉さまがおまつりされ、養蚕が盛んな下伊那地域の祈りを伝えています。

 

また、名工として名高い坂田亀吉や立川流の彫刻師・立木音四郎種清により手掛けられた本堂には、迫力ある向拝正面の子持ち竜、そして左右の昇り竜・降り竜が飾られています。地域の人々の拠所を未来へ伝えていくために見事な復興がなされた本堂や境内の建物には、当時の人々の志と熱意が込められています。

山門

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威風堂々とした姿で人々を迎える

石段の先に堂々と建つ山門は、明治時代の火災の後に再建された建物。建物の門前には、高森町の巨樹・古木・名木となっている大きな2本のスギの木が枝を広げている。

感想■長い山道を登り、隣政寺へたどり着いた時の迫力ある光景に息をのみました。山門と2本のスギの大木の力強さに圧倒され、どのようなお寺なのだろうという期待感と少しばかりの緊張感を抱きながら石段を登りました。

本堂(高森町指定文化財)

  • 本堂(高森町指定文化財)
    虹梁の登り龍・降り龍
  • 本堂(高森町指定文化財)
    虹梁の登り龍・降り龍
  • 本堂(高森町指定文化財)
    向拝の彫刻群
  • 本堂(高森町指定文化財)
    向拝の彫刻群・子持ち龍
  • 本堂(高森町指定文化財)
  • 本堂(高森町指定文化財)
    本堂内部を飾る欄間彫刻
  • 本堂(高森町指定文化財)
    本堂内部を飾る欄間彫刻
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立川流の宮大工たちが手掛けた装飾性豊かな迫力ある彫刻群

隣政寺本堂は、明治24年に立川流を受け継いだ坂田亀吉が請け負った建築である。亀吉は工事の途中で亡くなり、その後亀吉の師匠である諏訪の立川音四郎種清らによって明治27年に完成した。立川流は諏訪を本拠地に活躍した宮大工の名門である。

 

本堂向拝正面には、親子の龍を表す「子持ち龍」、向拝の左右の虹梁には、登り龍・降り龍が彫刻されている。これらは立川音四郎種清手掛けた作品である。

 

明治の火災後、地域の方々の結束と熱意により本堂や山門が復興された。残念ながら途中で資金不足となったために、未完成の状態の欄間が本堂にいくつか残されているが、「必ず本堂を再建する」という地域の方々の祈りと想いが込められている名建築である。

感想■隣政寺の本堂は立川流の素晴らしい彫刻が刻まれており、このお堂に対する人々の想いがこの立派な本堂の彫りにつながっているのだと思いました。これらのお堂は領主とかではなくここの地域の皆様の寄進によって造られたとお聞きして、この本堂の造りから地域の皆さまの想いが感じられるようでした。

秘仏御本尊・千手観音菩薩像

  • 秘仏御本尊・千手観音菩薩像
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毎夜光り輝いていた小さな仏様がお身体の内におさめられているとの逸話が残る

本堂中央の須弥壇上の厨子の内部に、隣政寺の秘仏御本尊・千手観音菩薩様がおまつりされている。

 

御本尊様には逸話が伝えられている。

隣政寺が現在よりも創建の地の近くの山奥に位置していた時、対岸に暮らす現在の豊丘村に住む住民たちは、隣政寺のある山に毎夜毎夜、光が見えたという。不思議に思った住民たちが、隣政寺のある山を訪れると、洞窟の内部で小さな仏様を発見した。霊験あらたかな仏様と感じた住民たちは、この小さな仏様を隣政寺の御本尊様のお身体の内におさめたと伝えられている。

感想■御本尊様にまつわる逸話を伺い、地域の方々が隣政寺や隣政寺の御本尊様を大切にされていたことが伝わってきました。たとえお姿を直接見ることができなくても、祈りを優しく受け止めてくださるような安心感を感じました。

木造阿弥陀如来立像

  • 木造阿弥陀如来立像
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廃仏毀釈運動の影響を受けた大寺院より移された阿弥陀様

御本尊様をおまつりしている須弥壇上には、向かって右側に阿弥陀三尊を、向かって左側のお厨子の内部には阿弥陀如来立像をおまつりしている。これらのお像は、かつて近隣に大きな伽藍を構えていた大寺院・白山寺より移されてきた仏様であると考えられている。

 

それぞれのお像は、室町時代頃に造立された仏様であると考えられている。

 

白山寺は、越の大徳・泰澄大師(たいちょうだいし)が創建したと伝わる白山信仰の寺院で、霊峰とあがめられた風越山の南面一帯に伽藍が広がっていたと伝えられている。

 

しかしながら、明治時代に神仏分離令が出された際に、たまたま住職の交代時期で住職が不在であったことと、現在の飯田市一帯は国学が盛んな地域であったために、廃仏毀釈運動の矢面に立たされてしまい、白山寺は廃寺となり、白山社となった。

感想■お厨子におまつりされている阿弥陀様は、穏やかなお顔をされているとともに凛とした力強さも持ち合わせていらっしゃいました。霊峰・風越山の山岳信仰として祈りを紡いできた白山寺を象徴しているようでした。

不動堂(蚕玉堂、高森町指定文化財)

  • 不動堂(蚕玉堂、高森町指定文化財)
  • 不動堂(蚕玉堂、高森町指定文化財)
  • 不動堂(蚕玉堂、高森町指定文化財)
    不動明王立像
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    突き上げ戸
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    白山寺より移された護摩炉
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    白衣観音坐像
  • 不動堂(蚕玉堂、高森町指定文化財)
    白衣観音坐像
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神社の拝殿から仏堂へと変わった室町時代の建物

本堂の隣に建つ不動堂は、祈願道場として護摩祈祷が修法されている建物。明治時代の火災の後に、飯田市の今宮郊戸八幡宮より拝殿を移築し不動堂としたという。室町時代に遡るかもしれないと考えられている古い建物で、突き上げ戸など古式な建築様式が随所に残されている。

 

不動堂の中央には、「戒壇不動」として信仰を集める不動明王様や毘沙門天様、慈覚大師様、慈恵大師様をおまつりしている。また、護摩壇や法具は、廃仏毀釈運動により廃寺となった近隣の大寺院・白山寺より移されたものであり、護摩壇の周縁には江戸時代の年号や寄進した僧侶の名前が刻まれ、法具には「白」と刻まれている。

 

向かって右側の壇には、大きな白衣観音様のお像を中心に、観音霊場を構成する各札所の観音様がおまつりされている。向かって左側の壇には蚕の守り神である蚕玉(こだま)さまのお像がおまつりされている。

感想■神社の拝殿が寺院のお堂にリノベーションされていることに驚きました。宗教を越えて大切にされている不動堂の姿は、かっこよく非常に魅力的に感じました。

蚕玉(こだま)さま

  • 蚕玉(こだま)さま
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蚕とともに紡いだ人々の営みを伝える

蚕玉さまとは、かつてこの地域で盛んであった養蚕業を象徴する神様で、蚕とともに歴史を紡いだこの地域特有の神様。かつて周辺地域の農家の方々は、冬の間に隣政寺に蚕の卵を預け、春先に預けた蚕の卵を受け取り、春から秋まで自宅で育てていたという。古来よりたくさんの方々から蚕の卵を預かっており、現在の高森町だけでなく、南は現在の飯田市、北は上伊那郡の人々から蚕の卵を預かっていたと伝えられている。

 

しかしながら、養蚕業に携わる人々にとって欠かせない存在であった隣政寺の存在を目障りに思った悪い蚕業者の手により、明治時代に放火されてしまい、隣政寺は全山焼失してしまった。その後、人々のたいへんな尽力の結果、隣政寺は今日の姿に復興された。

感想■手には蚕の餌である桑の葉を持ち、台座には蚕の繭を表すお姿からは、地域の方々がいかに蚕を大切に育てていたかが伝わってきました。また、蚕玉さまの穏やかで優しいお顔は、復興に尽力された人々をあたたかく見守ってくださっている慈愛の表情を浮かべているように感じました。

【内部非公開】三十番神堂

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日蓮宗時代の隣政寺を伝える仏像

隣政寺は、創建以来日蓮宗寺院であり、江戸時代の元禄年間に天台宗の寺院となったと伝えられている。

 

境内に建つ三十番神堂にまつられている三十番神とは、1日ごとに人々をお守りするとされた三十柱の神々のことであり、比叡山に伝教大師がおまつりしたことが最初であると伝えられている。

 

その後、法華経の教えを守護する神々として、日蓮宗で特に重視され、多くの寺院でおまつりされたという。隣政寺の三十番神は、江戸時代に天台宗の寺院となる以前から存在していたと伝えられており、日蓮宗時代の隣政寺の姿・歴史を伝えている貴重な神々である。

感想■三十番神様の愛くるしいお姿をお参りしていると、隣政寺の皆さんや地域の方々から大切にされていることが伝わりました。たとえ宗派が変わっても、変わらず信仰されてきた歴史と祈りが素敵だと感じました。

石造地蔵菩薩像

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全国的にも珍しい亀趺(きふ)に乗るお地蔵様

境内には、全国的にも珍しい亀趺(亀の姿をした台座)に乗るお地蔵様がまつられている。

 

亀のように見える動物は贔屓(ひいき)という龍の一種で、贔屓の上に乗る蓮の台座に、2人の子供たちとともにお地蔵様が座っている。贔屓は重いものを背負うことを好むと言われていることから、通常は石碑を甲羅の上に乗せる姿をしているが、このお像のようにお地蔵様を乗せている作例は珍しいという。

感想■頭を上へと向け、少し口角を上げて誇らしげにしているように見える贔屓と子供たちを優しい眼差しで見つめるお地蔵様のお姿が印象的でした。

report

学生レポート

立命館大学 3年

ご住職のお話の中で、特に印象に残っている言葉があります。

「隣政寺は、歴史の表舞台に出てくることはない、歴史の“裏”のお寺なんです。強い権力者に保護されることもなく、常に大衆とともに存在していました。」

この言葉は、地域に根差した隣政寺だからこそ語られたのだと思います。人間によって火にかけられたお寺ですが、それを復興したのも、また人間なのです。焼失してしまったことは本当に残念で、私も非常に悔しい思いです。しかし、全て失った境内を再興しようと、力を合わせた人々がいるということも、決して忘れてはいけません。皆の拠り所であるお寺を、もう一度取り戻そう、次世代へ受け継ごうという思いにこそ、「伝承」の真髄があるのではないかと、隣政寺を訪問し考えました。自然と人々が紡いできた隣政寺、是非たくさんの方々にお参りして頂きたいです。

history

ご由緒

隣政寺は「山の寺」と呼ばれる古刹。創建は鎌倉時代、日蓮聖人の弟子である日得上人によって開山されたと伝えられている。開山から江戸時代初期までは日蓮宗のお寺として歴史を紡いでいたが、元禄年間(1688 - 1704)に天台宗の寺院になったという。標高約900メートルの山上に伽藍を構える隣政寺は、古来より周辺地域の人々から蚕の卵を預かり周辺地域の養蚕業を支えていたという。明治の放火による焼失以降、地域の人々により伽藍が復興され、立川流の宮大工たちが手掛けた本堂や仁王門、飯田市の今宮郊戸八幡宮から移築され室町時代の建物と推測されている不動堂が参拝者を迎えている。

info

参拝情報

名称
普門山 隣政寺
(ふもんざん りんしょうじ)
所在地
長野県下伊那郡高森町山吹2357
googleMAP
参拝時間
事前にご連絡をお願い致します。
拝観料
ご連絡の際にご確認ください。
宗派
天台宗
御本尊
千手観音
宝物殿
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アクセス
■公共交通機関
JR飯田線 下平駅よりタクシー約15分

■車
松川ICより約20分
駐車場
あり(数台)
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